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「ほどほど」ほど難しい

つい、やり過ぎてしまう。何においても。
相手を殴り殺したり、核ミサイルボタンを押してしまったり。
そんなことって良くありますよね。

冗談はさておき、「一休さん」のモデルである室町時代の僧侶、一休そうじゅんについて話してみたいと思います。この人は後小松天皇のお子様ということで今日ではそのお墓は宮内庁管理となっていて一般公開がされていなかっかったりします。

そんな”本物”の方の一休さんはこのような歌を残しています。

「門松や 冥土の旅の一里塚
めでたくもあり めでたくもなし」

門松といえばお正月。
当時は門付かどづけ芸という、いわゆる獅子舞や傘回しのような各家庭を回ってしゅくをおこなっていた時代。そこを一休さんは杖に骸骨を付けて上述の歌を歌って回ったという”真逆”のことをしたそうです。

一年経てば「一歳」年老いて死に近づくという理論。せっかくのお正月をしらけさせる卑屈な一休さん。
しかし、当時室町の人々の平均年齢と言ったらなんと15歳!!これは縄文時代の平均年齢の20歳を下回る数値。

それだけ室町の世が乱れていたということ。そのような中で民衆はお正月だからといって、現実から目を背け”浮かれていて”いいのか。
「いいけど、ほどほどにね」
という一休さんの”喝”だったのではないのかなと私は思う。

さあ、ここからが私の考察。
もし当時が科学の発展した不自由のない贅沢な暮らしをする世の中で
「正月?地球が公転して戻ってきただけだが?」
「いや、宇宙空間座標においてピタリと同じ位置に戻ってこれるはずもなかろう。」
と民衆がこぞってのたまう、こんな世の中だったら一休さんは杖にプリキュアのお面ぶっ刺して、バク転しながら
「いいけど、ほどほどにね」
と言っていたと思う。「一年の計は元旦にあり」が流石に泣く。

上手な「歌」というものには”大きな余白”が存在して読み手の心に”振れ幅”を与えてくれる。一休さんの歌もその例に漏れない。

さて、私の勤め先のクリニック。患者さんには多々指導をしなければならない。
「〇〇してはダメ」
「〇〇しなきゃダメ」
うちのクリニックに限らず医療全体に言えることか。社会全体に言えることか。

当然うちの患者さん達は
「それじゃ何もできない殺すきか!」
としばしばお怒りになります。…ごもっともでございます。

「ほどほど」ほど難しい。

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