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インプットをすると、アウトプットがしたくなる。どちらも大切な話。

 毎週のように行っていたエッセイの投稿をお休みして、ドラマや映画、小説などを消化していた。切り替えがあまり上手じゃないので、エッセイや詩などの執筆に集中している期間はほとんどコンテンツに触れることがなくなるし、反対に作品を楽しんでいる時は視聴や読書に夢中になってしまって、執筆の方がおろそかになる。変な性質。もう少し上手くやれないものか。


 そういったわけで、前回エッセイを投稿してから一ヶ月の間を置いて、この文章を執筆している。観たかったドラマも大体は消化できたし、読みたかった本を読んで笑ったり泣いたりしたので、スッキリとした状態。作品を楽しむのはいい。インプットをするとアウトプットがしたくなるという意味でも、創作とは表裏一体の関係性。いい文章が書きたかったら、インプットは欠かせないなあと実感した次第である。


 たぶん、いやきっと、創作の源泉は無限じゃない。某手塚先生のように、毎日漫画を書いていても「バーゲンセールをしたいほどアイディアはたくさんあるのです、ほっほっほ」(口調は筆者の想像です)と豪語するほどの大天才ならまだしも、普通であればエッセイを含めた作品を書くたびに、泉から水を汲み出すように情報やアイディアは消費されていき、ついには表現したいことがなくなった、という状態に陥ってしまう可能性は十分に考えられることだ。

 創作、いわゆるアウトプットは楽しいけれど、それだけでは源泉はいずれ枯渇してしまう。ずっと同じような、言葉は悪いけどワンパターンなものを飽きずに書き続けることができ、なおかつそれで賞賛を浴びる方もいるにはいると思うけれど、それには読者を納得させうる多大なる才能が必要になるはず。基本的にはやっぱり、創作の源泉が枯れないようにインプットとアウトプットと並行して続け、これを書いたから次はこれ、これに刺激を受けたから、次はこの題材を書いてみよう、なんて風に創作を連続させていくのだと思う。


 創作の材料は、色々なところに転がっている。面白いと思ったコンテンツから刺激を受けることもあれば、人との何気ない会話からヒントを得ることもあるし、あまり好ましくない出来事が創作の糧になることもある。腰を据えて、よし、インプットしよう! なんて身構えなくとも、コンテンツの視聴や人との交流などを自然と楽しむことができれば、たぶん自分なりの「面白い」は溜まっていく。それが創作の源になって、作者のエネルギーになっていく。


 ただ、主観的に感じた「面白い」をそのままに発信しても、客観的に受け取る他者には伝わりにくいはずなので、その表現の仕方には力量が必要になってくるのだろうけど、それもまた創作のやり甲斐のあるところ。自分の「面白い」に共感してもらうために、書いて書いて作って作って、表現力を上げていく。インプットしては、アウトプットして。その行為を繰り返していき、読んでくださった方に「面白い」と思っていただけるように研鑽を積んでいく。そのためには、自分の興味を惹く出来事やコンテンツに触れて、創作のためのエネルギーを日々溜めておくことが大事。良いインプットなくして、良いアウトプットはないのだと最近特に感じている。


 最近、面白いと思えることにそこそこ出会えたので、エッセイの題材は脳内倉庫にまずまず保管されている。次は、なにを書こう。これがいいかな。またしばらくは、創作の日々になるのかもしれない。ものすごく興味深い新作ドラマの情報を得ないかぎりは。楽しんで、でも読んでいただけるように頑張って、またアウトプットしていこう。

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