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2020年 大いに怒る(いかる)

わたしは思っていた。

人に対して怒るのはみっともない。

感情を爆発させて相手を不快にさせるの行為は美しくない。

場合によっては社会性にかけた行為。

大人ならそつなくうまく対処すべき。

こんなのは半世紀生きた女性なら当然のたしなみだと。

(注:これはあくまで持論です。)

しかし、意外といるのだ。そうでない方が。


だから、その人がいつも誰かの文句を言うのを

「20パーンセントの好奇心」と

「10パーセントの同意」

「30パーセントの相手を思いやって落ち着かせようとする気持ち」と

「20パーセントのうんざりする気持ち」

そして、本当は溢れだしそうな

「20パーセントに圧縮した馬鹿にする気持ち」

この馬鹿にする気持ちを

ずっとずっとぎゅーっとぎゅーっと押し込めていた。


だから、ある時溢れだした。

いや、大爆発してしまった。


悲しくて眠れない経験も

仕事で悩んで眠れない経験も

生活のリズムが崩れて眠れない経験もある


しかし、怒りで眠れない3日間を初めて体験した2020年。


生まれてはじめて 好きでない人と「友達」でいることを心から後悔した。

本当は、最初から 自分が望んで「友達」になったのではないけど

相手にとって

自分はいつのまにか「親友」であり

常に一緒にいたい「恋人」であり

なんでも聞いてくれる「母親」であった


その人がのことを自分は真の意味で「友達」とは思っていなかったのだが

相手が勝手に誇大妄想した「私」の存在意義

私が見て見ぬふりし

            好きにすればと放置し

                     気に留めないようにいしてた

 彼女の中の「私」という「依存」できる「存在」


そんな「存在」であることを知りながらも

気にしないふりして、ため息ついて、面倒臭く思いながら

わたしは大いに自惚れていた 

そう 苦々しくも心地よかったのだ

なんならお望み通りのいい「友達」になろうとしていた

自分がその人物より優位であることを感じ

庇護する人物がいることに私自身も自分の存在意義を見出していた。


そして、その浅はかさに気づいたのだ。

私にとっても、相手にとっても

それは自分のエゴが都合よく割り当てた「役割」に過ぎなかったのだと。

自分のエゴの欲求を満たすために与えた「存在」だったことを。


これを読まれたら 息子には鼻で笑われるな。

「そんな面倒な関係最初から作らなきゃいいじゃん」

その通りである。

けど、お母さんはさびしいのかも。

誰かが依存してくれると どんなに大変でも ちょっとほっとする


だから、やばいんだよね。

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