見出し画像

自分の歩き方

木々の隙間から差し込む日の光。むせかえるようなセミの鳴き声。7月の長野。かなり山奥にあるのだろうと思っていが、駅からタクシーに15分ほど乗り、ああ、だんだん山の中に入ってきたな、というタイミングで車が止まった。降りると緑の香りが鼻腔に流れ込む。木造の平屋の戸をくぐり、靴が無造作に並べられた玄関をあがり、受付の呼び鈴を鳴らす。しんと静か。ガラス戸の向こうに緑に囲まれたウッドデッキが見える。右手に続く広間では、寝間着のような服装で女性がごろんと寝転がっているのが見える。風呂上がりなのか顔が赤くほてり、気持ちよさそうに扇風機の風に当たっている。

はい、と30歳前後と思われる女性が奥から出てくる。洗濯を繰り返した柔らかな紺色のバンダナを頭に巻き、からし色の麻素材のエプロンのポケットからは淡い緑色の手ぬぐいがのぞく。
宿泊施設のサービス業らしい気の張ったの言い方ではなく、自宅で急にお客さんがみえたかのような、どなたかしら、というような聞き方だった。今日から2泊で予約している篠塚です、と答える。そちらへどうぞ、と小さなテーブルへと促され、彼女はまた奥へ戻る。リュックサックを降ろして切り株のような椅子に腰掛け、ガラス越しの緑をぼんやり眺める。ふとテーブルの上に目をやると、野の花が活けられた小さなガラス瓶に日が当たり光が乱反射している。

食事は朝11時と17時の2回のみ、動物性のものは一切なし。食事の時間にはスタッフが木の鐘を鳴らして伝えるので、各自トレーで受け取り、めいめい好きなところでどうぞ。朝の散歩やヨガのクラスの時間、近隣の森の散策コース、お風呂や各種セラピーについての説明を受け、部屋に通される。2人の相部屋だが、平日なのもあり今夜はこの部屋は私一人だという。生成りの壁に、淡いベージュのシーツ、自然の木の形を生かした柱。広くはないが、柔らかく落ち着く部屋。

ようやく、来れた。数年来の思いが実る。ここは食事、運動、睡眠を整えるために30年前にできた場所。健康のためにこの3つが大事なのは当たり前すぎる、誰もが知ってるし、もはや陳腐なくらい。

「分かっているのに、なぜ大事にできない?」
病気の治療にはこの3つをケアを「した方がいい」と言われているが、本当はこの3つの方こそ治療の主体なのではないか。でも、多くの人はできない。セルフコントロールができないから。だからここを創った。30年前に。実際に滞在して、その大切さを体感してみる場所として。と話す創業者のインタビューを本で読み、いつか来てみたいとずっと思っていた。

自然の中で、食事、睡眠、運動をするためだけにできた場所。きちんとしなくていい、愛想を振りまかなくていい時間。テレビも時計もない。制限はされていないが、スマホを見る人もいない。風呂上がりにテラスに堂々と寝っ転がっても誰も気にしない。頭の方にあった重心が、とろりと腹の方に移動し始める。いつも無意識にまとっている頭や肩周りのセンサーがゆっくり剥がれ始める。

食事の時間。
こんなに華やかで豊かな菜食の膳が存在するとは思わなかった。野菜って、こんなに綺麗だったのかと息を飲むような色と質感、そして香りの組み合わせが、盆の上に立ち現れていた。皿に盛られた状態でじっくり見る。箸ですくい上げて、また見つめる。ようやく口に入れて、それが一噛みごとにがどのように前歯で割かれ、舌で奥歯のほうに押しやられ、はさまれて細かく砕かれ、唾液と混ざり合って喉の奥へすべり落ちていくのを感じる。

しゃくしゃく、ぱりぱり、とろり、つぶつぶ、もしゅもしゅ、かりかり、ずるり、ぷちぷち、もっちゃり、するする。

ひとつひとつの感触を思う存分味わいながら、見つめたいペース、噛みたいペース、飲み込みたいペースで食べていたら気づくと2時間も経っていた。誰も気にしない。皿洗いは各自で行う。アクリルたわしにほんのちょびっとだけ自然洗剤をつけて。流し台の横に置かれた、庭のミントがたくさん詰まったガラスポットの水を、グラスにそそぎ、ゆっくり飲んで一息つく。

2泊の予定だったが、まだ有給をとっていたのでさらに2泊延長した。時折、他の宿泊者と空と山並みを眺めながらゆっくり話した。私と同じようなスピードで食事をする2人組もいた。ゆるやかに入れ替わり立ち代り、一人の時間と他の人と共有し合う時間を持った。この場にすごく馴染んでいるのが自分でも分かって、何度も来ているんですか、もしかしてここでボランティアをされていますかなどと何人もの人に言われた。


「なんかね、すごかったの」
私と同じ速度で食事を楽しむ2人組のうちの1人、眼鏡をかけた華奢な体つきの彼女が言った。やや猫背気味で、眉根を寄せて少し困ったように笑う人だったが、エサレンなるセラピーを受けてきたあとは、身体の芯がすっと中央にまとまって、自然と伸びた様子で戻ってきた。彼女が、彼女自身であることを静かに喜んでいるような、そこはかとない落ち着きが漂っていた。その笑顔はもう眉根が寄っていなかった。

「なんかね・・・・・・すごかったの。」
思い出すように一度空を見て、それからこちらを見て、また同じ言葉を繰り返した。身体をとにかく揺り動かされ続けるというセラピーなんだという。言葉の説明ではよく分からないけれど、彼女の身体と表情を見れば、とにかくなんかすごかったのが分かる。

もう3日間も滞在していたけれど、思ったほどに体が緩み切らない。背中と肩のこわばりがしつこく残り、すんなり寝付けなかった。こんなに、日常から離れ体と心にいいことばかりしているはずなのに、と不思議だった。来た当初は必要性を感じなかったオプションのセラピーだったが、彼女の様子を見て受けてみることにした。受付に申し込みに行くと、明日の時間なら空いているという。A4サイズ2枚分の紙ににびっしりと質問項目が連なる問診票を渡された。身長体重、違和感を感じている部分、生活習慣についての項目のほか、「家族構成」や「これからやりたいこと」などの謎の項目も連なっていた。部屋に戻って全ての問いを埋めるのに、意外と時間がかかった。


「そういう人、多いんですよね」
生成りの壁の、中央にぽつんと施術ベッドの置かれたその部屋で、向かいに座った肌と瞳の色素が薄い、ふわふわとしたヘアスタイルのその男性は、私の書いた長い問診票に目を落としながら面白くもなさそうに言った。何、いうことはないのだけど、随分と前から身体がこわばっているような感じがあって、と補足したあとだった。だから身体のことを言われたのだと思った。

「多いんですよ、あなたみたいな人。」今度はこちらを見ていった。なぜか睨まれているような気がしていたたまれない気持ちになった。

「体は元気で、仕事もしていて、お金もそんなに困ってなくて、彼氏もいて、家族も元気で、友達もいるし趣味もあるし、美味しいものを食べたりこうして旅行にも行ける。でもなんかつまんない、元気が出なくてだるいっていう人」折りたたまれるように、何かが近づいてくる。

「そういう人って、自分のやりたいことやってない人なんですよ。」

心臓の底を、とすっと破られたような気がした。何を言われているのか頭が理解する前に、身体が反応していた。

「でも私、再来月アフリカに行くんです。ずっと行ってみたかったところなんです」反射的に、取り繕うように、問診票にも記載して彼がすでに目を通しているはずのことを口にした。

「”アフリカに行く”って、そう言いたいだけなんじゃないですか?」

ワンテンポ遅れて、頭にものすごい勢いで血がのぼってきた。頬に、耳に、目の周りに、カッと血流が流れて赤みが帯びるのを自分でも感じる。

「行くからってなんなんですか?僕は80カ国以上行きましたし、アフリカも行きましたけれど。行ったからってこと自体は、何がどうってことはないです。やりたいことがあって、それで行かずにはおれなくなって、行くんです。」

こいつ何言ってんの、なんでお前にそんなことを言われなきゃいけないの、お前に何がわかるの、こっちは3年前にケープタウンに初めて出張で行って、それまでアフリカに全然着目していなかったけれど物凄い世界が広がっているんだってびっくりして、でもその時は完全に管理された安全な中での行動しかできなくて、ずっとアフリカに心惹かれて、こんなに大きな存在のことをなぜ、ほとんど知らずに生きてこれたんだろう、ネットで調べようと思えばいくらでも調べられる今の世なのに、まともに「知ろう」とすらこれまでの人生で思わなかった自分の中の無意識の中の無関心にもなんだかショックで、人と社会のあり方、何かすごく惹かれるものがあるしもっと知りたいけれど、それは一体何で、広大なアフリカのどこでどのようにしたら、それに触れられるのか、行きたいけどやっぱり怖い、どうにかして現地の人に触れられないかしら、でも安全も担保したくていきなり飛び込めなくてというもどかしさが思いが積み上がって、しかも行ったところでどうするんだろうとか、もんもんもんもんしてきたのちの、ようやくの機会を得たトーゴ行きのことなのに、おまえが80カ国も行ったからってなんなんだよ、関係ねーだろそんなこと、私のアフリカに対するこの気持ちを否定するんじゃないよ、しかもこの丸3日間この場所でもんのすごい心地のいい時間を過ごして和らいできたのに、お前のセラピーがなんかすごいって聞いたから来たのに、こんなに散々質問して書かせて、その上でなんでこんなに否定されなきゃいけないんだよ。

と、後になって思い返すとこうして言葉と思考が出てくるのだが、その場では怒りとショックが同時にやってきて、カッとしてがーんとして、自分が何を言われているのか分からなく、口を引き結んで睨み返した。


しかしながら施術は始まった。エサレン。
仰向けに横になる、白い天井を見上げる。窓からは木漏れ日が差し込む。風と小鳥のさえずり。今日も穏やか。

右手の人差し指をそっとつままれ、持ち上げられる。わずかに揺らしているかどうかの振動が伝わってくる。次は中指。薬指。小指。親指。手首。腕。肘。二の腕。
ふと、そっと降ろす。

次は左手。人差し指。中指。薬指。小指。親指。手首。腕。肘。二の腕。
次は右足。人差し指。中指。薬指。小指。親指。足首。脹脛。膝。腿。
次は左足。人差し指。中指。くすりゆび。こゆび。おやゆび。あしくび。ふくらはぎ。ひざ。もも。
次はあたま。とうちょう。こめかみ。みみ。みけん。はな。あご。のど。くびすじ。さこつ。かた。
次は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そうだ、自分の体にはこのパーツがあったんだよな。手足に始まり、身体のあらゆる部位をそっと持ち上げられ、小舟の上でたゆたっているような静かでわずかな振動を与えられ続け、そのさざめきを身体が受け入れゆっくりと浸み込んでいくのを感じながら、そのうちに頭はとろりと半透明になり、身体が波になり、だんだんとなぜ自分がここにいるのか、なぜ自分が揺れているのか、寝ているのか醒めているかもおぼつかなくなり、時間の感覚も失い、いろんなことがよく分からなくなった頃、「はい」と声がした。


「ゆっくり、起き上がって下さい」
右にとろりと寝転がり、頭を最後にするようにのっぺりと起き上がる。身体の芯が、静かに中心に据えられて、肉と骨はほどかれ柔らかく力みなく、もとからあるべき場所に自然と連なっている。

「ゆっくりベッドから降りて、立ち上がってみて」
そっと裸足の足を床におろす。足裏を踏むのに連なって膝が伸び、腰が上がって徐々に目の高さが上がっていく。

「ベッドのまわりを歩いてみて」
かかとが床について、足の裏がしなって、指の付け根が柔らかくつき、指に重さが移動して後ろに蹴り出していく。身体の中心が、私の肉が、骨が、足裏に一緒に連なってくっついてくるから、一歩が出る。かかと、足裏、甲、指、無数の細かな関節と筋肉それぞれがこわばりから解放され、各自のしなやかさを取り戻し、一体となってオットセイの尻尾のようになめらかにうねる。
足裏の小さなパーツがそれぞれ反応して連なり合い、足だけではなくふくらはぎから膝、もも、腰、背骨、首に手と、全てが連携しあってこそ「歩く」ことができるんだ、というのが感じられてなぜか嬉しくなる。

「歩くのが、楽しい」
思わず笑って言った。

私のゆっくりした一歩一歩のリズムに合わせ、体を右に、左に揺らして様子を見ていたその人は、

「自分の歩き方だから、楽しいんですよ」

と言った。
「本来の、自分の身体の状態で動くと、人は楽しいんです。”自分の”歩き方だから。誰かにこうしろって言われた歩き方じゃないから」

「ふだん、みんな人に言われたように自分の体を動かしてる人が多いんです。急がなきゃ、とか頑張らなきゃ、静かにしなきゃ、とか愛想よくしなきゃ、とか。それは人に言われた使い方。人に言われて、力みが入る。それに合わせて動かす。それをずっとやってると、自分の身体の自然な動き方がわからなくなっちゃう。歩くのが楽しいなんて思わないで生きるようになる」

ぺた、ぺた、かかとから、足裏、甲のしなり、ああ、この指の付け根のところってなんて呼んだらいいんだろう、ここが着地すると気持ちいい、そこから親指、4本の指に順々と重心がかかって、やがて蹴り上げられて抜けていく。だから、次の足が出る。それを感じながら、彼のゆっくりした言葉が一言ずつ、耳に入ってきて、聞いた。

自分の、歩き方。

「また都会に戻って、自分の歩き方が分からなくなっちゃったら、どうしたらいいですか?」と彼の目をみて聞いてみた。楽しさの中に、ほんの少し哀しさを覚えたから。きっとまたすぐ失うのかもしれないと。

「忘れないですよ、自分の歩き方は」その人は穏やかな顔で返した。
「あとね、いろいろ、ぶるぶる振っておけばいいんですよ。あ、なんか固まってきたな、と思ったらすぐに、ぶるぶるぐにゃぐにゃ、こうやって」
ふざけている小学生の男の子みたいに、手足に首に頭にとぐにゃぐにゃ振った。ああ、なんだかお行儀悪いけれど、そうか子供の頃はこうやって自分の動きをいつもリセットしていたのか。人に言われた使い方の呪縛から。


そのあとも、ウッドデッキの広いテラスを、ただ、一歩ずつ柔らかく踏みしめて、いっぽ、いっぽ、しなって、ついて、うつって、ぬけて、けって、を繰り返し、味わって、一人でうふふと、
それだけで楽しんでいた。いつまでもやっていられそうだった。施設のオーナーが通りがかって、どうしたのと面白そうに声をかけた。

「歩くのが、楽しくて」
そのほかには、なんにもなかった。