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最近見た映画と本のこと

明日は週に1回の友人たちのとのオンライン読書会の日だ。

明日は何の本を紹介しようかな。

話すのが苦手な私はきっと紹介する前にこうやって書いた方が明日、喋れるかもしれないと思って読書会の前に読んだ感想を書いてみようと思う。

しゃぼん玉/乃南アサ

久しぶりに近所のTSUTAYA書店が開いて嬉しくなって先日、衝動買いした本。

私は高校生の頃、笑ったり、喜んだり、怒ったり、苦しいとかいやだとか助けてとか色んな感情を出せなくなって、溜め込んだ結果、抑えきれないほどの圧力になって「食べない」と言う症状として表出し、摂食障害になった。たまたま私は食べないと言う表出だったけれどもしかしたら犯罪を起こしていてもおかしくなかったなと思うことがよくある。

私は病気になってから犯罪も病気もどんな人にでも起こり得る紙一重のことだなと感じている。

そんな風に感じているからか帯タイトルに惹かれてこの本を選んだ。

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あらすじ(ネタバレあります)

愛情を知らずに育った主人公、伊豆見翔人は女性や高齢者だけを狙った通り魔や強盗傷害を繰り返しては逃げ、自暴自棄な生活をしていた。ある日、通り魔をした際、翔人は誤って人を刺してしまう。そんな逃亡途中に宮崎県の山深い村で老婆、スマを助けたことを機にスマの家に居座ってしまう。翔人はすぐにお金を盗んで逃げるつもりだったが、スマの孫だと勘違いした村人たちは翔人に世話を焼く。翔人のような若者は村では貴重だ。そのうちに祭りの準備や山仕事にもかりだされるようになる。そんな暮らしの中で翔人は初めて人に認められたり、褒められたり、人の優しさに触れる。

自分はシャボン玉。誰にも存在を認めてもらえず、漂うように、誰の記憶にも残らず、シャボン玉みたいにパチンと消えてしまう存在だと感じていた翔人の心は、村の人達の優しさに包みこまれ、どんどんと変化していき、大きな決断をすることに。

たまたま見た最近の映画

最近、「ジヌよさらば〜かむろば村へ〜」という映画を観た。

こっちの話は、お金を「さわれない」、「使えない」、「欲しくない」という「お金恐怖症」になってしまった元銀行マンの主人公、高見武晴、通称、タケが「1円もお金を使わない!」と決意し東北の小さな村、かむろば村にやってくる話だ。

東北の極寒の中の持久自足生活を甘く見ていたタケは度々、命の危機にさらわれる。けれど濃いキャラ勢揃いの村人達に度々助けられ、奇跡的に1円も自分のためにお金を使わない生活を続けていく。初めはタケの無知さと無鉄砲さに呆れていた村人たちも、タケを受け入れていく...というようなストーリーだ。

2つの話に勝手に感じた共通性

置かれた立場も性格も全く違う主人公だけれど、どちらの主人公も村の人達に世話を焼かれて助けられなんとか生きているなぁと感じた。

そしてどちらの主人公も理由は違えど村の人達に頼まれたことを断らずに行っている。きっとそんな姿を見て村の人たちは二人のことを信頼している。多くのことは聞かない今の二人を見てくれている。

人生何度でもやりなおせるなぁと言う気持ちにさせてくれる。

目薬

前に読んだ「ネガティブ・ケイバリティ 答えの出ない事態に耐える力」という本に

ヒトは誰も見てないところでは苦しみに耐えられません。ちゃんと見守っている眼があると、耐えられるものです。(p89一部抜粋)

と書かれていた。

その本ではそんな見守る眼のことを、「目薬」と言っていた。

2つストーリーの主人公。

翔人だったらその村を一歩出れば犯罪者だ。

タケだったらお金にさわれない病人だ。

でも生活している村の中では

翔人はおばあちゃんを助け、村の仕事を手伝う優しい子だ。

タケも村の人たちのためにせっせと働く優しい青年だ。

2人の主人公は村の人達の目薬のおかけで成長していく。

私も今、周りの人達の目薬のおかげでなんとか殻にこもらず生きている。

今の職場の仲間はありがたいことにこっちが殻にこもろうとすると、その殻を破いてくるくらいに世話を焼いてくれるから感情を抑える前に吐き出せる。

監視ではなく見守られている温かさ。

わたしも誰かの目薬になれていたらいいな。


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