5年間戦った見えない敵の正体は、双極性障害だった。

高校一年生の夏、限界だったのかもしれない。

JRのホームで、列ではないところからホームを見つめて朦朧としていたところを、駅員さんとおばちゃんに話しかけられた。「大丈夫?」

その時自分が何をしようとしていたのかは、本当に覚えていない。

とっさに、笑顔で、「大丈夫です!」と答えたのは覚えている。

その日から、「死ぬ」ということが目の前に迫ってくる恐怖にとらわれることになる。しばらくはホームの端っこに立てなくなり、電車が目の前を通過する瞬間は目を閉じるようになった。死にたいという気持ちを、自分が気付かない間に、自分が実行に移してしまうのではないかと思って、本当に怖かったのだ。

そして「死」というものはそこまで自分から遠くないようにも思えた。その一方で、死ねない自分の意志の弱さに、自分なら死なないと安心してもいた。

診断が下りるまでの5年間、希死念慮とかいう名前がついていたか、そんなものにとらわれておびえていた。


そしてもう一つ、おかしいと思っていたこと(今思えば症状)がある。


悲しいことがあったから悲しい

楽しいことがあったから楽しい

怖いことがあったから怖い


出来事と感情が一体になってるというこの当たり前ともいえる回路が、おかしくなった。悲しいことなんて何もないのに、本当に悲しくて涙が止まらない。誰に包丁を向けられているわけでもないのに、恐怖のあまり息が上がり動悸がする。怖くて怖くて仕方がない。

寝室で恐怖におびえて、寒くもないのに布団に全身を入れて、窓のカギを確認し、カーテンを隙間なく閉めた。


この症状にどんな名前がついているのかは存じ上げないが、今思えば年に1回ほど症状が消えることがあったので、きっと双極性障害の何らかの症状なんだと思う。時間があればお医者さんにいつか聞いてみたい。


そして一か月ほど前、私はとてつもない死にたい気持ちに襲われた。大学に入ってから度合いも頻度も落ちていたので、「来たか!!!」といった具合に客観視することができた。ADHDの通院のおかげで、心療内科への敷居も低い。

そしてお医者さんに現状を伝えた。はじめて他人に、死にたいと思ってしまうことがあると伝えた。

「危ない危ない」という言葉と、「双極性障害」という診断名をもらった。こんなに人と明るく接することができる自分が双極性障害だなんて、本当にビビった。ADHDと違って、予想外だった。通院が一週間おきになって、初めて自分が置かれている状況に気付いた。


双極性障害の診断は、先月ついたものだ。だからADHDと違って知識がない。関係する本も論文も、一本も読んだことない。あ、二次障害という言葉は知ってた。

敵の正体が分かったので、今は本当に晴れ晴れしている。暗闇から殴られていたけれど、今はスマブラみたいな明るいフィールドで、戦っている。そんな気分だ。


めーーちゃくちゃ神妙な語り口調で書き始めちゃったから、変に堅苦しい口調になった。そもそもnoteをなぜ「だ。である。調」で書き始めてしまったのか、そこんとこも謎である。

いつもいつものんちゃんは、見切り発車で計画性というものを知らないから困る。










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