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先逝く人々。

注:悲しかった話を徒然なるままに書いたので、
嫌いな人は読まない事をおすすめします。私のことを知りたい人だけどうぞ。下書き送り予定。

2021年の終わりから、2022年にかけて、
突然の悲しいお別れが続いていた。

いや、12月、1月。この寒い季節は、
祖母や母がこの世からいなくなった季節でもある。朝、起きたら寒い。

近くに住んでいた高齢の祖母の家には、
こたつ以外の暖房もなく、毎朝、ちゃんと生きているか、
本気で心配していた。

朝起きて、思うことがおばあちゃんが死んでいないかということなのだ。
それに比べたら、今はなんて幸せなんだろうと思う。その心配は少ない。

子供を幼稚園に連れて行き、ママ友と少しおしゃべりをした後、祖母の家に行く。
それが日課だった。祖母が旅立つまで。
それは、1月の寒い日だった。
いつものように子供を送り、
痩せ細ってぶかぶかになってしまった
入れ歯を安定させる為のものを
ドラッグストアが開店してから
買いに行くつもりだった。

だからいつもより、遅い時間だった。
訃報はその時に届いた。

何故いつも通りの時間に行かなかったのか
悔やまれた。

病院で会った祖母は、旅立った後でも
温かかった。父の時と違って。まるで待っていてくれたかのように。

もしかしたら、祖母は最期の時を見せたくなかったのかもしれないと今は思う。
死に目に会えないということは
そういう事なのかもしれない。


「子供を見たりや」


それが、最期に会った時の祖母の言葉だった。

生前、祖母は、身の回りの手伝いをする私に
いつも「おおきに」と感謝してくれ、
少し認知症の症状が出て、激高したあとでも、
次の日に私が知らん顔をして行くと、
昨日の事など、すっかり忘れて
「よう来てくれたな」と満面の笑みで歓迎してくれた。

「私が死んだらアンタを守ってあげるな」

と冗談めかして言っていたが、
おばあちゃんのことだ。
本当にやってくれているかもしれない。
私には怖いものなど見えた事がないし、
気配も感じない。

ありがたく思うことにしている。


母の時は12月のある日だった。
それまでに何度も入退院を繰り返していた。
家に帰りたいと何度も何度も言っていたが、
病状や、介護環境からそれは叶わなかった。
入院するまでは、仕事をしながら、
母にボヤかれながらも、
出来る範囲で側で支えたが、
姉や他の姉妹はそれを心配してくれていた。


入院してからは、仕事が終わってから
病院に通った。
何度かの、危篤の連絡。
もち直して、日常。

母が死にかけている時でも
笑顔で仕事をしていた。
知らない人に罪はない。
 


最期の危篤の知らせの後、9日間
仕事を休んだ。

皆が呼びかけるも、無反応になってしまったという母。
駆けつけて、呼びかけると、開かない目を開けようと一生懸命にまぶたを上げようとする母。

他の姉妹の呼びかけは、聞こえないようなのに、
私が呼んだ時だけ、まぶたを開けようとした。
聞こえているんだ。

姉妹の中で、一番厳しく叱られたのは私だ。
姉とは違い、
言うことを、聞かず、
母と一番ケンカをしたのも私だ。
嫌われていると思っていた。ずっと。
だけど違った。
きっと、私は母の一部になっていたのだと思う。


家に帰りたい、会いたい。母の願い。
でも、私にも守るべきものがあった。


母の願いを、希望を、叶えることは出来なかった
私は、ナルトで例えるならば
万華鏡写輪眼を手にしているのかもしれないなと
時々思う。


母には、最期の最期の一息まで、泊まり込んで寄り添えた。
SPO2の値が上がるたびに、
よく頑張ったと頭を撫で、
下がるたびに手を握って
名前を呼び続けた。
ずっと一緒にいたがっていた母だから、
もう少し長く生きられたのではないかと思っていたが、今思えば、この流行り病の前で
良かったのだと思う。
母は、会いたかったのだ。


母はどちらかと言えば、子供に夢を託す方だった。自分が出来なかった事をやってくれれば喜ぶし、自分がして欲しくない事をすれば怒った。
子供の為に生きている、そう言っていた。


母の事は大好きだし、感謝もしている。
だけど、私はたぶん、根っこの部分では、祖母や父に似たのだと思う。


自分のことは、自分でやるしかない。子供達には自分の夢など託さない。寄り添い、見守りはするけれど、自由に生きて欲しい。


どうか、やりたいことを見つけて
反対されれば、怒ってでも
いかにそれが大事なのか教えて欲しい。
まぁ、反対はしないけど。
自業自得を教えてきたからね。


最近、悲しい話や
怒りを

目にすることが多かった。


訃報も多い。
82歳になる高齢の叔母が
突然、姉や私に電話をかけてきて
まるで最期のお別れのように
お菓子を贈るからと言う。
そんな事などした事がないのに。


いつもより、大きな元気な声で、
少し子供に戻って
お礼を言う。
「おばちゃんも元気そうやね!楽しみにしてる」


母が亡きあと、ずっと気にかけていてくれたに違いない。
少しもの忘れが激しくなったという
82歳の叔母が
思い出してくれた、私達亡き妹の子供達


私達が元気でいなければ
先行く人々が浮かばれない。


元気出して行こう。



たぶんいつか下書き送り。笑

だけど、今、書いておきたくて。

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