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2才児に心配されたあの日の事。

これは、かれこれ20年以上前の話。

当時、私は短大を出て、初めて就職した会社を3年で辞め、保育士になるべく、アルバイトをかけ持ちしながら、独学で国家試験合格を目指していました。

専門の学校に通うには、お金がかかるし、何年も通わなければなりません。試験さえ、受かれば資格を得る事が出来ます。

そこで、夕方3時から7時まではコンビニ、夜の10時から朝の5時まではファミリーレストランで働くという、今ならとても出来ない、無謀なやり方で、資格取得を目指していました。

健康保険や、住民税、年金。払わなければならないお金はたくさん必要でした。

ピアノの試験もあるため、生まれて始めて、自分のお金で、教室に申し込み、大人になってから、ピアノを習い始めました。

会社に勤めていた頃には出来なかった、車の免許をとる為に、教習所にも通い始めました。

朝方帰ってきて、少し仮眠し、教習所へ行き、帰って、何か食べ、少し眠って、ピアノ教室へ通い、夕食を食べて、コンビニのバイトに行き、帰ってきたと思ったら、ファミレスへバイトに。

「あんたはご飯食べる時しか家にいないのか」と、当時は母によくぼやかれたものです。

ファミレスのバイトは楽しく、当時深夜メンバーとして働いていた大学生の先輩達も、年上の後輩にとても親切で、あっという間に月日は流れました。

働き始めて2年目に差し掛かった冬のこと。

友達のお母さんが働いていた保育園で、急な欠員が出て、1ヶ月だけだけど、働きませんか?とお誘いがありました。

産休をとる予定だった先生が、急遽予定より早く入院することになり、その間のお手伝いという事でした。

まだ資格はとれていないものの、またとない機会。店長に相談すると、貴女の為になる事だから1ヶ月、行っておいでと快く送り出してくれました。

その保育園は、のびのびとした保育園でした。私がお手伝いすることになったのは、1、2歳児合わせて8人のクラス。

そこに、彼女はいました。りんちゃん という女の子で、とても人見知りの激しい子だったそうです。

何か通じるものがあったのか、人見知りと知らずに抱き上げた私を、拒絶することなく、受け入れてくれ、他の先生に珍しがられた事を覚えています。

私は当時、原付バイクで、駅4つ向こうのその保育園に通っていたのですが、もともと頬が赤くなりやすく、冬の寒い日は、園に着く頃には、もうほっぺたは真っ赤になっていました。

その週、りんちゃんは、園をお休みしていました。めばちこ(ものもらい)が目にできてしまったらしく、赤く腫れていたそうです。

すっかり良くなって登園してくれた朝、おはようのあいさつをしていると、突然、りんちゃんが、紅葉の葉っぱのような、ちっちゃな両手で私の顔をぎゅっと挟みます。

そして、「しぇんしぇいも?」と、とても心配そうに私の顔を覗き込みます。

一瞬、何の事かわかりませんでした。

次の瞬間、りんちゃんが、自分が痛かった目のように、私のほっぺたが、赤く腫れたのだと勘違いしたのだと気付きました。

まだ生まれてから、たった2年しか生きていないのに…

こんなにも他人の心配をしてくれるなんて。。

ありがとう、先生は大丈夫よと抱きしめながら、あの日、私の心はとても温かく震えていました。

1ヶ月が経ち、今日で終わりというその日。私はいつものように、また明日ねとお別れをしました。さようならなんてすると、きっと泣いてしまって、元気なみんなの笑顔を見る事が出来ないと思ったから。

その後、何度かお誘いを頂いたけれども、その時にはもう別のところで働き始めていて、もう会う事はなかったのだけれど、あの日のりんちゃんの私を見つめる心配そうな顔、あの場所、あの空気までもが、映画のワンシーンのように思い出されます。

今はもう彼女はすっかり大人になっているでしょう。

あんなに小さな頃から、あふれんばかりの思いやりの心を持っていたりんちゃん。

貴女はきっと幸せな日々を送っているのでしょうね。

あの時の感動をありがとう。



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