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国語力があれば大丈夫。と言われた話

今朝、秋篠宮さまが済生会の総会?に
ご出席されたニュースを見て思い出した。

娘が小学5年生のとき。
今からもう7年前になるかな
肺炎で近くの救急病院に入院しました。

その時の病院が済生会病院
しかも即入院決定・・・
酸素濃度が救急処置しても上がらなかったからだ。

ICU(集中治療室)は当然だけど
緊迫した空気が流れていた。
高齢の方が多かったように思う。

その中で医師と看護師が冷静に立ち振る舞い
それでも小さな娘の前では
明るく優しく声をかけてくださった。

娘の体には何本もの管がつけられて
口も塞がり、話せない状態が何日か続いた。

意識が戻ってくると娘に文字盤が渡されて
指で「ひらがな」をさして会話をしていた。

看護師さんは慣れているので
娘の指さした「ひらがな」を一緒に目で追って
すぐに何が言いたいかわかってくれたそうだ。

夫にも娘は文字盤で話しかけたが
小さい「つ」が伝わらなかったり
案外わかってもらえなくて
「なんでお父さんわかんないの!」って
思ったことが記憶にあるらしい。

管が外れて声が出せるようになったときに
看護師さんに娘が言った。

「どうしたら看護師さんになれますか?」と。
私は驚いた。思わず
「いやぁ勉強が出来ないと難しいお仕事だよぉ」と
言ってしまった。

すると、
看護師さんが娘にこう言った
「人ときちんとお話ができれば大丈夫だよ」

どうゆうことですか?と
私と娘がきょとんとしていると

「国語力がすごく大事なんです、だから文字盤でも
しっかりと意思を伝えてくれたんだもの。
次ここに来るときは看護師として是非お待ちしていますよ!」
とおっしゃったのだ。

その時、思わず次に来るとき?と
お互い笑いながら、胸がじーんとして
看護師さんの大きな優しさを感じたことを今も忘れません。

我が家は娘と夫が
済生会病院に命拾いしてもらっています。

コロナ禍にも娘が発熱したとき
診てもらったことあったのですが
過酷な勤務の中、突然の依頼に
丁寧に対応してくださって
感謝しかありません。

あの時のこと
今も娘は覚えていて
済生会に行くと文字盤を使って話したこと
思い出すようです。

今こうして生きていること。
人と話せるということの大切さを
感じられるのは
あの時、ICUに入ったから。

朝から「済生会」という文字に
反応した私でした。

それではまた。

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