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森のなか

先日、とても久々に、目的地を決めずに、「ただ歩く」ということをしました。

地図も見ずに、ただ、自然が豊かな方へ、豊かな方へと歩いていくと、

夏に、自転車で行った、森林公園にたどり着きました。

森林公園を目的地として、歩いて行くのは、なかなか時間がかかるので、徒歩で行こうと思えるのは、よっぽど、元気があるときになりますが、

今回は、歩いていたら、たまたまついてしまったようなかたちで、

「あ、ここまで来てしまった」と、ついたときには、少し嬉しくなりました。


周りには、ほとんどだれもおらず、

キツツキの木をつつく音、小さい、すずめのような鳥のピヨピヨという声、

いつも、スマートフォンで聴いている、自然音が生で耳に届き、

なぜか分からないけれど、とっても感動して、

ひとりなのに、全く寂しくなくて、

木からものすごい生命力を感じて、

寒さを忘れて、森に飛び込んでいました。

自分が、真っ白な自然の世界に溶け込んでいくようで、

ここは、天国なんじゃないかと思ったくらいです。

人に囲まれることと、木に囲まれること、なにが違うんだろ…。

木は、森は、自然体だから、そのものの生命力があふれているのか。

スピリチュアルではなく、本当に、得体の知れないパワーが森にはあって、その正体が分からなくて、不思議でたまらないのですが、

ただ、事実として、「たっぷりの元気をもらえた」があります。

夏に、この森に入ったときも、感動はしたのですが、ここまでではなかった。

たぶん、すずめばちとか、熊とかの気配がないか、に気を張らせていた部分があったからだと思います。

当時の気温は、数字でみると、0度を下回るので、寒いはずなのですが、

そんな中なのに、ここは天国だと感じるくらい、快適で、しあわせで、

あー、このまま北海道に住み続けたい…と心底思いました。

スポーツで一体感を感じる人、楽器で一体感を感じる人、

色んな人がいますが、

森との一体感もそれと似たような感覚で、

自然が近くにない生活になってしまうのが、急にとても寂しく感じるようになりました。

今は北海道に住んでいますが、就職したらどうなるかー。

また、一度考え直そうと思います。

雪は大変だけれど、雪が好きです。



もし、これからも、北海道に住むとしたら、

いよいよ、あまり実家に帰ることができなくなると思います。

それも、寂しくて、孤独なことです。

けれど、先日、こんな言葉をみかけました。

「自分からつながりを切らない限り、縁は切れない」

わたしは、ずっと、就職は実家に戻らないと、家族を捨てたことになる、と思っていました。

それに、妹が3人いるため、もし顔を見せなかったら、わたしなんて、すぐに忘れられてしまうんじゃないか、とも。

しかし、この言葉のおかげで、

忘れられてしまうかどうかは、相手次第ではありますが、

自分の気持ちが向いたときに、ごはんに誘ってみたりなど、

自分から歩み寄っていけば、縁はちゃんと続いていくんだ、と思うことができました。

実家で暮らすとなると、どうしても、自然が豊かな方へ行きたい、自分の時間を確保したいという気持ちが強くなって、

人から逃げる姿勢になってしまいますが、

自分の望んだ環境で生きることができて、自分から人に会いにいくことができたら、

とっても、幸せだろうなぁと思います。


このように考えていくと、一方的な人生もなかなか悪くないような気がします。

話してみたい人に、一方的に話しかけてみる。

行ってみたい場所に、どんどん出かける。

もし、自然の近くで暮らせたとしたら、やりたいことがわんさかでてくる自分に気づいて、びっくりしました。

自然が豊かな地域だとしても、そこには人が住んでいて、また新たな出会いがあるかもしれない。

そうおもうと、またひとつ、寂しさが和らぎます。

心地いい方向へ、進む勇気を持てるようにしたいです。



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