常連さんは店のファミリー
8月からイタリアンレストランで接客のアルバイトを始めることになった医療記者の私。本業の会社の許可も取り、主に土曜のディナーを担当することになった。働き始めてわかったのは、常連さんは店にとって客以上の存在ということだ。
ホールの大事な仕事の一つは?
いよいよ初出勤。飲食店の接客は、大学生の時に実家近くのサイゼリヤやフレンチレストランでアルバイトをして以来、実に30年ぶりになる。事前に指示されていたように、黒色に統一した服、エプロン、スニーカー姿で、開店15分前の店に入った。
コロナ禍で席数を制限していることから、テーブル9つ、厨房をL字型に囲むカウンターで25人も入ればいっぱいになるこのお店。ホールの私の仕事は、注文を取って料理を運び、ドリンクを作って出し、食器を下げ、皿洗いや片付けをし、簡単な調理補助などをすることだ。
シェフの奥さんはランチの時間しかいないので、ディナー担当の私はシェフが調理をしながらあれこれ教えてくれた。
幸い(?)初日はお客さんがそれほど入らず、雑談しながら余裕をもって教えてもらえた。
シェフは料理のプロであることはもちろんだが、人と話すのが抜群に上手い。普通、出会って間もない人との会話は何かしら気が張るものだが、それが全くない。私の呼び名は、かしこまった「岩永さん」から、私が3つ年上ということもあって「ねえさん」「あねご」「お母さん」、「直子!(主に注意する時)」「直ちゃん(主にからかう時)」と、どんどん砕けていった。
店に来る様々なお客さんのエピソードを教えてくれながら、シェフが初日から繰り返し私に言ったのはこのことだ。
「ホール担当の人にはお客さんといっぱい話してほしいんですよ。そうすれば僕は料理に集中できる。皿洗いとかは後回しでもいいから、とにかくお客さんに積極的に話しかけてください」
お客さんと話す意味
思えば、私が応募した飲食店の求人サイトでも、この店のホールの募集要項の文章は明らかに他の店とは違っていた。
手元にその文章がないのでうろ覚えだが、「もしお客様が岩手出身の人だったら、『今日はちょうど美味しい岩手産のホヤが入っているんですよ。それに合う日本酒もありますよ』という風に、お客様と積極的にコミュニケーションを取ることのできる人」というような内容が、いくつも例を挙げながら書かれていた。お客さんとの人間くさい交流を大事にしている方針も、この店に応募する気持ちを固めた要素の一つだった。
実際、シェフは調理がひと段落すると、「ちょっとあのお客さんとしゃべってこようかな」と、よくホールに出てくる。
「辛さ、どうでした?」
「住まいはお近くなんですか?」
「この料理、ビールと合うでしょう?」
「どうしてこのお店を見つけてくださったんですか?」
何気ない質問を糸口に、お客さんの好みや、近所の人か、また来てくれそうか、普段はどんな酒を飲むのか、どんどん聞き出していく。というか、どんどん親しくなっていく。常連さんの一人はシェフのことを「雑談の鬼」とも呼んでいるほどだ。
コロナ禍でお客さんが減ったこともあるが、個人経営の小さな店にとって、店を気に入ってリピートしてくれるお客さんは貴重な財産となる。「なるほど、こうして店の経営を安定させるのか」と、最初は単純に分かったような気分になっていた。
私はプライベートでは人見知りだが、記者の仕事をしているので、仕事スイッチが入ったら初対面の人に話しかけるのは慣れている。職業柄、「話しかけられたくない」「これ以上踏み込むな」というオーラも比較的察知できる方だ。
様子を見ながら「お口に合いますか?」などと話しかけると、お客さんは「美味しいです」「今まで食べたカルボナーラの中で一番です」などと料理の感想を伝えてくれる。人によっては、「最近、転勤で近くに引っ越してきたんですよ」などと、自身のことをどんどん話してくれる人もいる。
「『美味しいです』いただきました!」「宮城県ご出身なんですって」と、お客さんの言葉を厨房でシェフに伝えると、シェフは「嬉しいです!」「ナイスファイト!」と喜んでくれる。
お客さんと話すことで、ただ料理や飲み物を運ぶだけでない、接客の仕事の面白さが少しずつわかり始めた。
常連さんに歓迎会をしてもらう
あっという間に過ぎた初日、ラストオーダーの午後10時前、野球帽を被った童顔の40歳ぐらいの男性と、背の高いクールな雰囲気の40代半ばの男性がバラバラに入ってきた。それぞれ勝手知ったるようにシェフの目の前のカウンター席に陣取る。
シェフが「おー杉井さん(仮名)!」「埼玉さん(仮名)!」と嬉しそうに声をかけるところを見ると、常連さんらしい。生ビールを注いで持っていく時に、紹介してもらい挨拶をした。
クールな埼玉さんはシェフと同郷の小中学校の同級生で、偶然、店の近所に職場があったので通うようになった。童顔の杉井さんは店近くの建設会社の経営者だ。伝票には通常、席の番号を書くのだが、シェフは「常連さんの伝票は名前を書いて」と言う。
「今日はみんなでねえさんの歓迎会だな」と、常連さんが来て陽気になったシェフが軽口を叩く。冗談かと思ったら、裏に引っ込んできた私にシェフは「もう仕事は終えていいから、杉井さんと埼玉さんと呑もう」と囁いた。常連さんを巻き込んで新人バイトの歓迎会を開いてくれるというのだ。
みんなでテーブル席に移動し、結局、この日は午前1時過ぎまで私の歓迎会を開いてくれた。初対面の常連さんがワインを次々に開けて私にご馳走してくれる。
「本当にこの店、大変だったから岩永さんみたいな人が入ってくれて助かったよ。俺なんか一時、ホールを手伝ってたもん」
杉井さんは、シェフがワンオペでてんやわんやしている時に、ホールの仕事を手伝っていたこともあるらしい。本業は建設業なのに。
埼玉さんは多摩地区に住んでいるが、呑んでいるうちに終電はとっくになくなってしまった。心配する私に、「ここに泊まるから大丈夫」と平然としている。遅くまで呑む時は、店でシェフと一緒に泊まるらしい。
4人で5本のワインを開け、爆笑しながら話した中身も、この日どうやって帰ったのかも覚えていない。すっかり酔っ払った私を杉井さんがお金を払ってタクシーに押し込んでくれたと、後で聞いた。
注文取りのミスもし、運ぶテーブルを間違えもし、一人前の仕事はまったくできなかったのに、初日から私はこの店の仲間に入れてもらえたと実感した。そして常連さんはお店の仲間の一人、いわば店のファミリーの一員なのだと理解した。
誕生日を祝ってくれる常連さんたち
日曜日によく来るのでシェフが「サンデー田中さん(仮名)」と呼んでいる大工さんの男性常連さんがいる。私が働く土曜日にも来てくれるようになり、「サタデー田中さん」の別名を持つようになった。
料理が得意で、鍋ごと自作のもつ煮込みを持ってきてくれたり、自信作という塩焼きそばをシェフの分とバイトの私の分と2パックお土産に持ってきてくれたりしたこともある。私が大好きな常連さんの一人だ。
バイトを始めて2ヶ月が経った10月、少し慣れた私は「岩永直子生誕祭をここで開きます!」と図々しくも宣言した。誕生日のしばらく前からバイト仲間や親しくなった常連さんたちに「絶対に来てくださいよ」と脅すように声をかけ、当日を迎えた。
結局、常連の杉井さんとバイト仲間、シェフが祝ってくれて、いつもより高めのワインや誕生日のデザートプレートなどをご馳走してくれた。ケーキに差した花火はシェフの指示でバイト仲間がわざわざ買ってきてくれた。
それだけでもものすごく嬉しかったのだが、「仕事で来れなかった」というサタデー田中さんはなんと後日、シェフに私へのプレゼントを託してくれた。お花の形の焼き菓子の詰め合わせだ。
「サタデー田中さんは義理堅い男なんだよ」とシェフも嬉しそうに言う。お店で数回しか会ったことがないバイトの私にここまでしてくれるなんて、どこまで優しい人なのだろう。
こういう経験を積み重ねていくうちに、常連さんはただのお客さんではなくなっていく。そんな人がお店に顔を出してくれると、営業スマイルではなく、来てくれて嬉しいという笑顔が自然に溢れ出す。きっと、それを常連さんも感じてくれて、また寄ってくれる。サービスを一方的に提供する・される関係ではない、相互関係になっていくのだ。
常連になることは自分の居場所を持つこと
この店で接客バイトをしている私は、別の居酒屋の常連の一人でもある。コロナ禍で客が激減した時は、半ば使命感のようなものさえ感じながら閑古鳥が鳴く馴染みの店に何度も通い、営業自粛の時はテイクアウトの酒や肴をせっせと買いにいった。
それはなぜか?
自分の愛する店が、愛する居場所がなくなってほしくなかったからだ。顔なじみになり、店の人と会話を重ね、自分が不特定多数の客の一人でなく、「岩永直子」個人として大事にされている感覚が芽生えると、そこは自分の居場所になっていく。
そんな常連同士も会話する度に親しくなり、お店という場所を介した緩やかな絆のようなものまで生まれてくる。
数年前のことになる。私が最もよく通っている東京・大塚の日本酒の美味しい居酒屋でしょっちゅう顔を見かけていた独身、中年男性の常連さんが急に顔を見せなくなったことがあった。その人は、隣に座れば日本酒のうんちくを長々と語り、政治や経済の話題で持論を展開して議論をふっかけてくる少し「面倒くさい」客だった。
だが、糖尿病を患いながらも大酒飲みだったその人がぱったり来なくなれば、みんな心配になる。やはりその人がよく通っていたもう一つの居酒屋との常連ネットワークで調べたところ、病気でしばらく前に入院し、亡くなっていたことがわかった。その知らせもすぐにあっという間に皆に伝えられた。
「まったく面倒くさい人だったよね」
「腹の立つこともたくさんあった」
「俺なんかしょっちゅうけんかしてたもんね」
知らせを聞いて、店の人と常連さんで、悼んでいるのだか、けなしているのだかわからない思い出話をしながら、もう二度と会えないことに寂しくなって献杯を重ねる。
店の常連になるとはこういうことだ。
子供もおらず、地域とつながりを持つ機会がほとんどない私のような人間にとって、馴染みの店に通うということは単に飲み食いすること以上の意味を持つ。家族関係でも、仕事関係でもなく、自分が安心して居てもいい場所を大切に育む行為でもあるのだ。
W杯決勝を店で常連さんと観戦
最後に、最近、サッカーW杯をきっかけにうちのお店の常連さんになった25歳の若き常連さん、手塚さん(仮名)のことにも触れておこう。
うちの店は普段テレビを置いていない。だが、11月27日に開かれたグループステージの日本対コスタリカ戦は午後7時キックオフで店の営業時間中だったことから、アルバイトの男の子が自宅からテレビを持ってきて中継を流していたそうだ。
近所に引っ越してきた手塚さんはそのコスタリカ戦を見ながらご飯を食べようと店に入り、いつものように話しかけたシェフと意気投合。その後もちょこちょこ寄るようになって深夜まで飲むうちに、自宅にシェフを招き入れ一緒に飲むほど仲良くなったらしい。
私が初めて手塚さんに会ったのは、W杯決勝前日の土曜日だ。そんな店との馴れ初めを聞いて、「明日の決勝観るんですか?」と聞くと「もちろんです!」と言う。
「一緒に見る?」と聞いたのがシェフの方だったか、手塚さんの方だったかは忘れてしまった。なんだか楽しそうで、「じゃあ私も一緒に観ようかな」と参加を決めた。
日本時間の12月19日午前0時のキックオフを前に手塚さんの自宅からテレビを店に持ち込み、シェフが作った煮込みやサラダ、持ち寄った酒や肴で一緒に観戦したのが一番上の写真だ。
試合はもつれにもつれてPK戦となり、アルゼンチンの優勝に互いにハイタッチして大喜びした。店に最初に顔を出してから1ヶ月も経たないうちに、こんな距離感になったのだ。
手塚さんはその後も数日おきに店に来ては夜ご飯を食べ、食べ終わった後もうとうとしながらシェフが仕事を終えるのをじっと待っている。「僕はシェフの料理もシェフのことも大好きなんです」。一緒に飲みながら話したいのだ。
クリスマスイブもなぜか夜の1時過ぎに現れて、3人で一緒に乾杯した。
ランチ営業とディナーの営業を終え、クタクタになって寝落ちしそうになっている時でも、シェフは常連さんとそんなふうに一緒に語りながら飲む時、とても幸せそうだ。
「お客さんに喜んでもらいたいし、満足してもらいたい。店をそんな場所にすることは、自分の使命だと思ってるから」
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