ずっとなりたかったんです。詩織様の、下僕に「、を喰らう」第三章 ー 4 【、を舐める】
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それから毎週末、氷山と私は氷山の家で逢瀬を重ねた。
一日中女王様と下僕プレイをしているわけではなく、コーヒーを飲みながら話すこともある。
話すのは主に私で、会話をしている時間よりも沈黙の方がずっと長いけれど、氷の世界ではそれは苦ではなかった。
なぜなら私の目は毎秒氷山を捕え、私の鼓膜は氷山の呼吸一つ一つを拾い、私の舌は氷山のアイスコーヒーで潤わされ、私の鼻は氷山の香りを吸い込み、私の皮膚は氷の世界の空気を感じることが出来るから。
私の五感。そのすべてが氷山で満たされる。
だけどやはり、氷山を踏んだり蹴ったり罵ったりすることには、きりきりと胃が締めつけられ、吐き気を覚えた。
何度やっても慣れない。
それでも小道具を使ったり、ボキャブラリーを増やしたり、一歩ずつ女王様への道を進めた。
氷山の熱い吐息、歓喜に震える白い肩、少しの会話。
すべてを目に焼きつけ、すべてを記憶に収める。
そうやって氷山フォルダを更新することで、私は苦痛と幸福のバランスをどうにか保った。
これは対価だ。
なにかを得るためには、なにかを差し出す。
人として至極当然のこと。
そう。これはつまり、そういうことなのだ。
「氷山はなにが嫌い?」
ソファーに深く座り、私は二杯目のアイスコーヒーを飲みながら訊いた。
アイマスクで視界を覆い隠し、赤い頬をした氷山が「どういう意味ですか、詩織様」と訊き返す。
頬が赤いのは、もちろん私が叩いたから。
はだけたシャツから覗く滑らかな肌には、一点の赤い染み。
先週つけた鎖骨の下の爪痕は、まだ薄っすらと残っていた。
――彼氏と別れようかと思ってるんだよね。
昨日の昼休み、一緒にランチに出かけた中野はため息交じりにそう言った。
別れる理由は「嫌いなことが合わないこと」らしい。
家のなかでじっとしていることが嫌いで、話題のテーマパークやショッピングモールに行きたい中野。
人混みが嫌いで、休日は家で映画でも観てゆっくりと過ごしたい彼氏。
最初のうちはどうにか折り合いをつけていたけれど、次第にストレスを感じるようになったという。
偏食気味の彼が食べ残しばかりしているのも、別れる理由の一つらしい。
生まれたときからずっと一緒に暮らしてきた家族にだって合わないところがあるのだ。いくら好きだからといって、なにもかもを受け入れることはできないだろう。
あくまで個人と個人なのだ。
――別に、彼氏と結婚する話とか出てるわけじゃないけど、長い目で見たらさ……。これ以上、情がわく前に別れた方がいいかなって思うんだよね。よく言うじゃない? 好きなことより、嫌いなことが合う人とつき合った方がうまくいく、って。
中野のそんな言葉を思い出し、私は氷山になにが嫌いかと訊いた。
女王様が下僕にする質問として、正解なのかはわからないけれど。
「例えば人混みにつき合わされるのが嫌いとか、食べ残しする人が嫌いとか、そういう嫌いなことって、なにかある?」
「そうですね……。僕は嘘、ですね」
「嘘?」
「はい。嘘をつく人が嫌いです、ものすごく」
氷山の倒置法が、胸を抉った。
嘘はついてはいけない。
それは子どもだってわかること。嘘をつかれることが好きな人なんて、いるわけがない。
確認するまでもない、当然の「人にしてはいけないこと」。
それなのに私は嘘をついている。
それも、特大級の嘘を。
私は氷山がものすごく嫌いなことをしている。
「詩織様が嫌いなことはなんですか」
「私は――」
少しの逡巡のあと、私は右手を振り下ろした。
破裂音が部屋に響き、静まり返る。
「下僕から私に質問していいと思ってるの? 随分、調子にのってるわね」
氷山の頬はさらに赤くなった。
やりたくない、こんなこと。
突きとおせない、こんな嘘。
叩いた弾みでずれたアイマスクからは、冷たい氷山の左目が覗いていた。
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