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私を大事にしてくれた人のこと

長年お世話になっているカウンセラーがいる。その人に「あなたはおばあさんがいたから生きてこれたのかも知れませんね」と言われたことがある。私はその時不思議だった。おばあさんとは、同居していた父方の祖母のことだが、私はカウンセラーに聞かれるまで存在をほとんど忘れていたのだ。

そして、それを言われて、ぶわっとたくさんのことを思い出した。

うちは私が生まれたとき、父方の祖父母、私の両親、兄の6人家族だった。が、私が3歳くらいのときに祖父が癌で在宅での闘病の末に死に、私が中学のときに祖母が脳梗塞で数ヶ月入院したのち死んだ。

祖父のことはほとんど知らないが、闘病していた部屋のにおいだけ覚えている。不潔だったのではない。言葉で表現するのは難しい、何か重く沈んだにおいがした。

祖母は、私が中学1年の夏、朝起きたら廊下で倒れていたらしい。父か母が見つけて、救急車で運ばれた。その日私は普通に登校するように言われ、その通りに登校した。祖母は脳梗塞だった。

その時は一命を取り留め、少しずつ回復していった。1ヶ月ほどで大学病院から市中の別の病院に移された。病院が変わっても、消毒液のようなどこかプラスチックを連想させるような病棟のにおいは変わらなかった。

毎日親に連れられて祖母の見舞いに行った。この頃は祖母はゆっくりだが喋れていたように思う。私はよく周りの大人に促されて祖母の手を握っていた。祖母の手は、冷たくも温かくもなく、ただ固く乾いていた。油気も水気もない粘土のような不思議な感触で、私は何となく怖かった。大人がトイレなどで席を外して病室で祖母と2人になると、何を話していいのか分からないまま、沈黙が怖くて、ただ今日は一輪車に乗っただのテストがあるから勉強しなきゃだの、話題が枯渇しないように必死に喋り続けた。

そのうち私は親と一緒に病院に行っても、祖母の病室には行かなくなった。談話室というスペースがあり、テーブルと椅子、自販機が2つと灰皿と、本棚があって、『静かなるドン』がずらっと並べてあった。学校が終わると校門に迎えに来ている親の車に乗って病院に行き、談話室で夕方まで『静かなるドン』を読み続けた。そして帰る親に声をかけられてまた車に乗った。

そんな日々のなかで、祖母の脳梗塞が再発した。病室を移され、カーテン越しに見た祖母は、目を開けているけど何も見えていないようで、現実感がなかった。その目は、1ヶ月前に握った手と違って、潤んでいるように、湿っているように見えた。まだ生きてると思った。同時に、もうだめなんだと、永くないんだと、すとんと理解した。何となく、もう近寄ってはいけないような気がした。

祖母はそれから数日生きた。私はやはり病室には行かなかった。ある日の夜、私が自分のベッドに入ってしばらくして、家の電話が鳴った。親たちが出かける支度をして、家を出る気配がした。私はベッドから動かなかった。白い自室の壁紙を見ていた。そして、祖母が入院している数ヶ月、それまで祖母がやっていた食器洗いは私がやっていたし、大丈夫だ、何も変わらない、と口の中で唱えていた。

葬儀のとき、棺の中の祖母に手を伸ばしてみたけれど、触れることはできなかった。てのひらにあの冷たくも温かくもない乾いた粘土の感触がずっとあった。祖母が焼かれるにおいは、よく知っている喉にくるあのにおいだった。精進落としのかっぱ巻きのしゃくしゃくした食感を覚えている。

私はやがて大学生になり、一人暮らしを始めた。そしてあっという間に調子を崩した。

私は当時親しかった人に引きずられてカウンセラーのところにやってきた。カウンセラーはひとしきり私の状態を聞いた後、「これまでに誰か、あなたを大事にしてくれた人はいましたか?」と尋ねた。私は「覚えがないです」と答えた。

それからしばらく定期的に通って、私はぽつぽつ昔のことを思い出してカウンセラーに話していった。そしてまたカウンセラーは聞いた。「これまでに誰か、あなたを大事にしてくれた人はいましたか?」。

私は「そういえば」と話し始めた。

「小さいとき、祖母が作る甘酒が好きでした。甘酒がある日は家に帰るといい匂いがしました。私が作ってもあの味にならないんですよ」

カウンセラーは頷いて、先を促した。

「私が小学校で意地悪されて、泣きながら帰ってきたとき、祖母は本気で怒りました。『えりを泣かせたやつはばあちゃんが懲らしめてやる』って言って、本当に校庭に乗り込みかねない勢いで、必死に止めました。割とその頃は一緒にお風呂に入ったり、おやつをいつも用意してくれたり。撫でてくれたりしました。

でも私が小学校中学年になった以降は、祖母とほとんど話した記憶がないです。母と折り合いが悪くて、これはどちらかが一方的に悪いわけでもなさそうでした。とはいえ、母が祖母の悪口をかなり強く言っていたので、なんとなく私も関わらないようになっていったのかもしれません。そのうちに祖母は死んでしまって、私は多分泣かなかったんじゃないかな」

カウンセラーはまた深く頷いて、静かに言った。

「そうですか。僕も納得しました。通常、あなたのご両親やお兄さんとの関係、学校でのことなどを考えると、今の状態で留まっていられるのは珍しいんですよ。だから多分、誰か大事にしてくれた人がいたのではないかなと思っていました」

私は呆けたようにカウンセラーの目を見ていたと思う。

「あなたはおばあさんがいたから生きてこれたのかも知れませんね。誰かに愛される価値がある人なんですよ、あなたは」

息が止まった。喉が詰まって言葉が出なかった。このカウンセラーのもとに通い始めて、私は初めて泣いた。泣いたのは随分久しぶりだった。

「そうか、そういえば、泣くと鼻水が出るんだった」と思っていると、カウンセラーがティッシュの箱を近くに寄せてくれた。鼻をかんだとき、感覚を覆っていた薄い膜のようなものが一瞬晴れて、手に鼻水の湿った冷たさが感じられた。「あれ、私、生きてるんだ」と思った。


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