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「苦しみを押し付けて知らぬ振りを決め込むわけにはいかない」──青木理『ルポ 国家権力』

「特定秘密保護法は、秘密の指定基準がきわめて曖昧であり、チェック機関の権限も弱いといった数多くの問題を残したまま、二○一四年十二月十日に施行されてしまった」

これは「特定秘密保護法、テレビ・新聞が報じなかったこと」の章の末尾に加えられたものです。

「つまるところ特定秘密保護法とは、冷戦体制の終焉によって青息吐息の状態にあった警備・公安警察にとって最もおいしいツールであり、警備・公安警察のための法律といえる。すなわち、防衛や外交といった分野での秘密保護よりもむしろ、内政における治安維持的な意味合いが濃い悪質な治安立法である」
青木さんはこの一文に続けて、なぜメディアがこのような視点から掘り下げた報道ができなかったのかをこう見ています。「メディア内部における旧来型の縦割り取材のエアポケットの中ですっぽりとん抜け落ちてしまった」ことであり、あるいは「メディアにとって重要な情報源である警察官僚に対する遠慮のようなものが働いたのではないかと、という疑念も湧く」と。

法匪という言葉があります。法の名を借りて恣意的に権力を振るう者たちのことです。法の知識を悪用する者たちです。この本で青木さんが追究しているのは、このような法匪とでも呼びたくなるような肥大化した公安警察の姿であり、検察権力の実態ではないかと思います。当然、行政権力も含まれます。
そこに見られる得手勝手な法の行使(解釈)と自己保身にはしる官僚組織の姿、それが警察庁であり検察庁の裏面にあるもうひとつの姿です。青木さんは緻密な取材を積み重ねてその実態を明らかにしています。それは行政権力の腐敗を追及した石原都政の検証でも遺憾なく発揮されています。

この本に『沖縄タイムス』に寄稿した8本のコラムが収録されています。基地問題にふれてこのように青木さんは記しています。
「つまるところ、戦後日本は苦しみを徹底して周辺部に押しつけ、まるで他人事かのように知らぬ振りを決め込み、果実としての繁栄をのみを貪り食ってきたのではなかったか。(略)お決まりのように日米関係や安保問題をしたり顔で語る識者が登場し、『海兵隊の抑止力は必要不可欠』『結局は辺野古しかない』などと繰り返す。徹頭徹尾、どこまでも他人事。」
そしてこう結んでいます。
「近いうちに私も、沖縄に足を運び、街を歩かねばならないと思っている。朝鮮半島にせよ、沖縄にせよ、苦しみを押し付けて知らぬ振りを決め込むわけにはいかない」
わがこととして感じ、考えること、それを忘れてならないと思います。そしてそのためにも優れたノンフィクションは大いに役立つのではないでしょうか。この本で触れられている「しんどくて格好悪くて、面白い──『月刊現代』の休刊に寄せて」を読んで、その思いはより強くなりました。

この本には青木さんの倫理がとても強く感じられます。沖縄について、死刑について、裁判員制度について……さらに高倉健さんの作品に触れつつ、暴排法、暴排条例が持っている落とし穴を取り上げた「もう残侠伝は生まれない」の章でそれがひときわ感じられる一冊でした。

書誌:
書 名 ルポ 国家権力
著 者 青木理
出版社 トランスビュー
初 版 2015年3月5日
レビュアー近況:これを書こうとしているときに、大きな地震がありました。東京音羽は突き上げる大きな縦揺れから少し長い時間揺れが続きました。揺れが強かった地域の方はお気をつけを。

[初出]講談社BOOK倶楽部|BOOK CAFE「ふくほん(福本)」2015.05.25
http://cafe.bookclub.kodansha.co.jp/fukuhon/?p=3554

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