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触れた人でないと分からない個性丸出しの芸人たち──吉川潮『芸人という生きもの』

30人の〝芸人〟についてその素顔、隠された一面を綴ったミニ評伝とでも言ったらいいのかもしれません。〝芸人〟とはいっても第二部では玉置宏、島田正吾・緒形拳、勝新太郎、小沢昭一さんたちという人たちも取り上げられています。いわゆる〝芸人〟ではありませんがぬきんでた〝芸人的素養〟の持ち主として取り上げられています。

とりあげられたどの人にも吉川さんの愛情があふれています。芸人の世界に生まれ、その中で育ってきた吉川さんならではの言葉がここにはあります。強烈な個性を感じさせる川柳川柳さんのような型破りなふるまいにも「しようがねえなあ」という苦笑も感じさせながらも暖かく見守っている吉川さんの姿が浮かんできます。

もうひとつとても特徴的な章があります。春風亭柳昇師匠の章です。「独特の可笑しみを持つ芸人を芸界の符丁で「フラがある」と言う」そうですが、この「フラの塊のような落語家」柳昇師、高座を覚えている人は「うんうん……そうそう」と頷かれる方が多いと思いますが、その高座を知らない人にはなかなか伝わりにくいものだと思います。その唯一無二の個性である「フラ」を私たちに伝えようとする吉川さんの姿勢には寄席、落語家、芸人への愛情があればこそのものです。ところでこの柳昇師の『与太郎戦記』はふくほんでも紹介させていただきましたが、戦記としても自伝としても名著です。苛烈な体験を語りながらもそこにも「フラ」というものがあるように思えるものです。

この個性というのは触れた人でないと分からないものというのも確かです。とりわけ〝芸人〟〝芸風〟というのはそういうものなのではないでしょうか。この本の二部でとりあげられた波多野栄一さん、早野凡平さん、マルセ太郎さんたちの〝芸風〟〝個性〟をどのようにして私たちに伝えようとしているのか、吉川さんの面目躍如たるものがここには感じられます。

少し前に巷間騒がれた落語ブームの時に春風亭小朝師が吉川さんにこう話したそうです。
「巷では「落語ブーム」と言われていた時期だが、小朝は「絶対落語ブームではない。一部の落語家ブーム」と見抜いていた」。さらに「落語家を寿司屋の職人にたとえ」て「回転寿司」ではなく「本寸法の寿司職人をめざす」と。この言葉に感じた頼もしさを吉川さんはうれしそうに綴っています。
とはいっても取り上げられた芸人のうち20人のかたが鬼籍に入ってしまい、この本で最年少という立川談春さんも48歳です。
「演芸は心を豊かにするものだから支えられてきた伝統芸なので聞いて悪いことは一つもない」「落語家に上手も下手もなく、いい落語家かダメな落語家だけだ。(略)聞いて面白かった人はいい落語家であり、つまらなかったらダメな落語家」といった、一見当たり前に思える評も、演芸評を40年に渡って続けていた吉川さんならではの言葉だと思います。そしてこう付け加えます。「好きな落語家が見つかったら独演会に通うのもいいけれど、たまには寄席へお出かけください」と。

奇行癖や破天荒な芸人たちの話、裏話としても読めますが、それと同時に緒形拳さんや勝新太郎さんの章で描かれた〝情〟の話、立川談春さんの『遊女夕霧』にまつわる川口松太郎さんのご遺族との話にも芸人ならではの情の世界の奥深さと芸の継承を感じさせられました。
〝芸人〟とは何かというような大上段な問いかけをしたものではありませんが、ふと〝芸人〟と〝芸人タレント〟との違いも考えてしまう1冊でした。

書誌:
書 名 芸人という生きもの
著 者 吉川潮
出版社 新潮社
初 版 2015年3月35日
レビュアー近況:太宰治が芥川賞を懇願する巻物4メートル(!)の手紙が見つかりました。価値があるものに間違いないですが、そっと見つからないままの方が良かったのではとも思います。

[初出]講談社BOOK倶楽部|BOOK CAFE「ふくほん(福本)」2015.09.08
http://cafe.bookclub.kodansha.co.jp/fukuhon/?p=4061

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