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読み返すたびに相貌を異なって感じさせる言葉の群れで織り上げられた傑作です──パトリク・オウジェドニーク『エウロペアナ 二〇世紀史概説』

履病歴ヴォルテールが神聖ローマ帝国 について「神聖でもなければ、ローマでもなく、ましてや帝国でもない」といったということはよく知られていますが、それをもじって言えば、「これは歴史でもなければ概説でもない。ましてやヨーロッパでもない」とでもいいたくなるような本でした。ただしヴォルテールは皮肉ですが、誤解されないように、ここでは感嘆と賞賛としてと付け加えておきます。

事実も風聞も言葉にされた時には語られる価値としては同じだ、ということなのでしょう、か……。この小説は実話、逸話、うわさ、それに加えて、宣伝文句、スローガン、論説までもすべて同価値のものとしてコラージュして作り上げたタペストリーのような物語=歴史です。

ときにその横糸は、たとえば冒頭で第1次世界大戦にふれ
「戦死者の平均身長を一七二センチとして換算すると、フランス兵の犠牲者は全体で二六八一キロ、異議留守兵は一五四七キロ、ドイツ兵は三〇一〇キロになり、世界中で戦死したすべての兵を換算すると、一万五五〇八キロの長さになった」
という記述の後、返しの糸で一九一八年に流行したスペイン風邪について織りなし
「兵士のみならず、一般市民も劣悪な衛生環境で暮らしていたため、流感で亡くなった人たちもまた戦争の犠牲者であると平和主義者や反軍国主義者は戦後に主張した。だが疫病学者は、流感で多くの犠牲者を出したのは、太平洋諸島、インド、あるいはアメリカ合衆国といった戦争のなかった国々の人たちであると述べた。この見解は理にかなっている。つまり世界は腐敗していて、破滅に向かっているからだ、と言ったのは無政府主義者であった」
というように諷刺、イロニー、シニカルささえも感じられる彩りがうかがえます。

けれど縦糸に頻出するのは、二度の世界大戦であり、ホロコースト、ナチス、共産主義、ファシズム、全体主義、民主主義、大量の死と飽和する文化(的なもの)の拡大=膨張というものであるように思えます。
そこから浮かび(織り)上がってくるものこそが二〇世紀のヨーロッパ(それは世界でもあるのですが)の実像(!)なのかもしれません。

歴史は物語でもあるとはよくいわれていることですが、その物語=歴史を素とでもいうものまでひとたびは解体して織り直した物語=歴史がこの本のような気がします。素の状態では正も負もなく、善も悪もないかもしれないものが織り上がるにつれてある形をなしてくる。それは時には悪夢のようなものであり、グロテスクなものかもしれません。革命と戦争の世紀といわれている二〇世紀の陰画がここにあるように思えます。

「一九八九年、あるアメリカの政治学者が、歴史の終わりという理論を唱えたが、それによると、歴史はもはや終わってしまったのだという。(略)ところが、多くの人びとはこのような理論を知ることなく、あたかも何もなかったかのように、さらなる歴史を作り続けていた」
最後に置かれたこの言葉から何を感じるのか、その感じた気持を持って再読すると、きっと最初と異なった物語が浮かび上がってくるのではないでしょうか。

ちなみに、この本は『カステラ』と並んで第1回翻訳大賞(https://besttranslationaward.wordpress.com/)に選ばれています。

書誌:
書 名 エウロペアナ 二〇世紀史概説
著 者 パトリク・オウジェドニーク
訳 者 阿部 賢一 篠原 琢
出版社 白水社
初 版 2014年8月21日
レビュアー近況:GW最終日、Jリーグ贔屓チームの応援に新潟まで行ってきました。遠征気分を高める為、東京駅で着駅の駅弁「えび千両ちらし」を調達。SKE48の松井玲奈さん、中川家の礼二さんらテツ(鉄)分の強い方がテレビで絶賛されているのを観ましたが、違わぬ美味しさ。復路も愉しみました。

[初出]講談社BOOK倶楽部|BOOK CAFE「ふくほん(福本)」2015.05.07
http://cafe.bookclub.kodansha.co.jp/fukuhon/?p=3461

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