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一人の男と一匹の雑種犬が私たちに教えてくれた奇蹟の物語──上之二郎『チロリとブルースマンの約束 伝説のセラピードッグとブルースシンガー・大木トオルの物語』

愛犬家ではなくとも、犬が人間の何かを癒やす力を持っていることは認めてくれるだろうと思います。この本は国際セラピードッグ協会の理事長としても活躍しているブルースミュージシャン大木トオルさんと、それまでは純血種以外は受け付けてくれなかったセラピードッグに世界で初めてなったチロリとの出会いと別れ(チロリの死)までをつづったドキュメントです。

大木少年には大きな悩みがありました。それは吃音傷害というものです。その大木少年にとって犬だけが彼の心を癒やしてくれる存在でした。けれど事業の失敗で一家は離ればなれ、愛犬とも別れなければならなくなったのです。

音楽の楽しさ、歌を歌う時はあの吃音に悩まされることもないと大木さんはミュージシャンの道を歩み始めます。なんとかバンドを成功させるようになった矢先に大木さんを病魔が襲いました。結核です。長期療養を強いられた大木さん、医者からも歌うことは禁じられてしまいました。

そして退院……。医者には禁じられたものの、最後の望みをかけて独りアメリカに渡ります。イエローという差別も受けながらの音楽活動……。けれど次第に実力を認められ、イエロー・ブルースマンとして全米ツアーに成功、大きなフェスティバルにもゲスト出演、ブルース、ソウル界の大物たちとの共演とその地位を確立しました。(アジア人ミュージシャンとして初の永住権を得たそうです)

そして始まった日米を往復する音楽活動の日々。その大木さんの脳裏から離れないのは離散した家族と優しく自分を見つめてくれていた愛犬の想い出でした。
ある日、長期療養していた病院の跡地で、近くの少年たちが飼っていた犬と出会います。それがチロリとの出会いでした。幾度か通って、チロリがなついた頃でした。チロリは施設の捕獲員に捕獲されてしまいました。待っているのは殺処分です。

大木さんは、その殺処分の日になんとかチロリを救い出すことができました。そしてアメリカで見聞きしたセラピードックとしてチロリを育てることにしたのです。
セラピードッグドックはアメリカでは認められていたものの、日本では病院や介護施設に犬を入れることなど考えられないことでした。しかも、そのアメリカでもセラピードックは純血種に限られていました。野良犬だったチロリは雑種です。セラピードッグになれるかどうかもわかりません。

大木さんは、アメリカから連れてきた純血種のセラピードッグでセラピードッグの意義を日本に認めさせるということと同時に、雑種のチロリがセラピードッグになれるということを認めさせようと考えたのです。それが数多くの殺処分される犬を救うことにつながるからです。

もちろん殺処分の残酷さを伝えることもしました。メディアの取材によってその実態を訴えること、知事たち行政に働きかけること。物扱いされていた犬に〝命〟があることを世間に伝える活動をし続けます。それは
「動物が命あるものであることにかんがみ、何人も、動物をみだりに殺し、傷つけ、又は苦しめることのないようにするのみでなく、人と動物の共生に配慮しつつ、その習性を考慮して適正に取り扱うようにしなければならない」
という条文を含む『動物の愛護及び管理に関する法律』を成立させるまでにいたったのです。

その一方、世界初の雑種犬チロリのセラピードッグは続けられました。チロリは大木さんの期待に応える成果をみせます。普通2年はかかるという訓練をチロリは6ヵ月あまりで卒業します。世界初の雑種のセラピードッグ、日本で第一号の認定セラピードッグになったのです。
そしてはじまったセラピードッグとしての活躍、次第に認められたチロリの活動が『動物の愛護及び管理に関する法律』に大きな影響を与えたのはいうまでもありません。

多くの人々に喜びと生きる力を与えてくれたチロリは乳がんで亡くなりました。今は築地川銀座公園に銅像として後に続くセラピードッグを見つめているようです、胸をはって……たたずんでいます。
「もっと楽に生きられたはずなんです。歌を歌ってかっこつけていればよかったんですけどね。他人から見たら、セラピードッグの活動なんて、何をやってるんだろうと思うかもしれません。肉体的にも経済的にも、ほんとにヘビーですよ。でも、ショービジネスでは味わえない無償の喜びがあるんです。セラピードッグから、人間として堂々と生きていくことの素晴らしさを教えてもらっているんです」

人として生きるというのはどういうことなのかを教えてくれている一冊でした。大木さんのセラピードッグを育成する活動、少しでも殺処分される犬を救おうという活動はやむことはありません。あの東日本大震災で捨てられた、いえ捨てざるをえなかった犬たちに対してもその姿勢は貫かれています。

書誌:
書 名 チロリとブルースマンの約束 伝説のセラピードッグとブルースシンガー・大木トオルの物語
著 者 上之二郎
出版社 創美社
初 版 2011年1月31日
レビュアー近況:出先にて、長年通っていた喫茶店が閉店していました。お打ち合わせ先、空き時間に入ったいつもの散髪屋さんでも、そのお店のハナシ。商店街にあるそのお店で、野中は「かつ煮セット」ばっかり食べてました。無性に寂しいです。

[初出]講談社BOOK倶楽部|BOOK CAFE「ふくほん(福本)」2015.07.17
http://cafe.bookclub.kodansha.co.jp/fukuhon/?p=3755

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