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学会は何のためにあるのか?


 コロナ騒動でバタバタしていた年度末、締切ぎりぎりの3月23日に何とかラウンドテーブルにエントリーした全国大学国語教育学会が、1週間後の30日に中止になってしまいました。

 第一報に触れた私がラウンドテーブルをするためにつくられたMessengerグループのスレッドに投げ込んだのは、「勝手にラウンドテーブルやっちゃいましょうか?オンラインでwww」というやけっぱちコメントです。

 「リアルだと15〜20人ですけど、同じ日にオンラインでやれば、40〜50人集まるかもしれませんね。家にいてもやることねぇな〜ということで 笑」などという放言も。

 一方で、全国大学国語教育学会のHPには、以下のようなお達しがアップされています。

 「自由研究発表」については、次の条件を満たすことで、大会要旨集掲載を以て発表成立とみなす。
「シンポジウム」「ラウンドテーブル」については、企画の特徴に鑑み、別の機会に実施することになった折に実現を考えることとし、島根大会「大会要旨集」への掲載対象とはしない。

 ごく一部「ネット配信形式」での実施も検討されているようですが、「発表成立とみなす」というところに、なんだかモヤっとしたものを感じるのは私だけでしょうか。

 もちろん、業績を積んで就職先を探そうとしている若手研究者にとっては、「発表成立」として認められるか否かということが死活的に重要な問題であると言えます。それはわかります。

 でも、研究成果をどうしたら研究者のコミュニティーで共有できるかということ、もっと言えば、研究成果をいかに社会の共有財産にできるかということこそが、開催が困難になった学会にとっての喫緊の課題ではないでしょうか。

 そういうことよりも先に「発表成立」のアリバイ作りに腐心しているように見える「学会」の現状に、何やらモヤっとしたものを感じるのです。

 私が関わっている文学研究系の学会の対応にも、同じようなモヤっとしたものが漂っています。

そもそも学会とは何か?
発表やシンポジウムは何のためにやるのか?
ラウンドテーブルが実現すべきことは何か?

・・・というわけで、いつになるかわからないラウンドテーブルの開催を待つよりも、「勝手にラウンドテーブルやっちゃいましょうか?」の方向に突き進むことを私は選びます。

 全国大学国語教育学会が開かれるはずだった5月末に、感染リスクのない完全オンラインのラウンドテーブルを開催すべく、仲間とゆるゆる準備を進めますので、乞うご期待!

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