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全日制普通科という物語の終焉

 早慶上智や関関同立、GMARCHなど、有名私立大学の合格者を出すことが、多くの全日制普通科高校にとっての成功の証でした。

 その先には、有名企業への就職が約束されているからです。

アサヒビール/味の素AGF/大塚製薬/イオンリテール/明治安田生命保険/資生堂/三菱UFJ銀行/スターバックスコーヒージャパン/全日本空輸/鹿島建設/日本航空/ゼンリン/日立製作所/三井住友銀行/NTTデータ/アクセンチュア/富士通/ノジマ/タマホーム/ニトリ/セコム/高島屋/パナソニック/デザントジャパン etc...

 有名私立大学がホームページで公開している卒業生の就職先です。

 就職することの意味を問い直すために「文学部」だけにしぼりつつ、複数の大学の公式サイトから拾い出してみました。

 ホームページで積極的に公開しているぐらいですから、これらの企業への就職は、有名大学文学部にとっての誇らしい「成果」であるということになります。

 ところが、こうした有名企業に就職した学生たちが、大学でどんな研究に取り組んだかと言うと、これもまた公開されている卒業論文の題目によれば、たとえば、以下のような感じなのです。

『伊勢物語』と斎宮/浮世絵に見る日本の美学/ジャニーズファンからみる文化消費の変容/小学校国語科教科書のジェンダー/三島由紀夫『金閣寺』論/ミケランジェロにおける未完成/韓国映画における北朝鮮/「積極性」を表す語彙の意味分析/法制的理解を超えた古代ローマの家族像 etc..

 こうした情報から見えてくるのは、たとえば一流大学の文学部で「三島由紀夫『金閣寺』論」に取り組んだ学生が、アサヒビールに就職するという成功物語です。

 もちろん、各々の卒業論文の執筆者がどのような進路に進んだのかはわかりませんから、あくまでもこれは「そういうことがしばしば起こり得るよね」というレベルの物語です。

 そして、そういう就職に対して「おめでとう!」と祝ってあげるのが常識ですから、これは一般論としては「成功物語」ということになります。

 一方で、こうした「成功物語」から見えてくるのは、多額の税金を投入して行われている高等教育が、少なくも就職をする上でほとんど役に立っていないという現実です。

 さらに言えば、卒業論文を書き上げる前に内定が決まっているのが一般的ですから、企業の側が学生に期待しているのは、卒業論文で示されるような専門的で高度な知見ではないということも明らかです。

 社交的であるとか、明朗快活であるとか、健康であるとか、一般的な教養を身につけているとか、学校教育のシステムに適応的であるとか、サークルでリーダーシップを発揮したとか、要するにきわめて一般的で汎用性の高い知識や技能が評価されていることになります。

 ジェネリックスキルなどと呼べば聞こえは良いのですが、おそらくその多くは、いずれは(あるいは既に…)AIやロボットによって代替可能なスキルです。

 文学部だけではありません。法学部や経済学部や社会学部や理工学部などの他学部にも、多かれ少なかれこうした構造を見出すことが可能です。

 全日制普通科の教員は、かつての私がそうであったように、有名大学に進学させることでその責任を果たしたと思ってしまいがちです。親もそれを望んでいます。本人も…。

 しかし、そういう進路を選ばされた生徒たちの未来に、AIとロボットによって仕事を奪われて途方に暮れる未来が待っているのだとしたら、それは果たして「成功物語」と言えるのでしょうか。

 全日制普通科というときの「普通」とは、いったい何なのか?

 「普通」の教育を受けて、「普通」の知識や技能を身につけて、「普通」の企業に就職するという物語は、すでに終焉を迎えつつあるのかもしれません。

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