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教師の安心・安全と児童生徒の未来

 2019年2月23日に日本大学文理学部で開催された緊急シンポジウム「「国語」の現在、「国語」のゆくえーどうなる国語科?どうする教育!」において、「義憤」という言葉を口にしながらひとりの高校教師が発言する現場に遭遇した。進学校に勤めていて商業高校や工業高校でも教えたことがあるというその国語教師は、国語総合の教科書がいかに使い勝手が良かったかということを語りつつ、現代の国語において「羅生門」や「セメント樽の中の手紙」や「水の東西」などの教材を扱えなくなるとすれば一大事であると怒りをあらわにしていた。
 発話のトーンを踏まえて個人的な印象として要約すれば、「羅生門を教えることができなくなるのは困る」ということに尽きる。第一学習社の「高等学校 現代の国語」が多くの学校で採択されたのも、小説が含まれているということもさることながら、「羅生門」「夢十夜」「鏡」「城の崎にて」などのおなじみの教材が目次に並んでいることによるところが大きかったはずだ。
 「水の東西」を含め、定番教材が定番教材として支持され続けているのは、多忙をきわめる現場の教員にとって、教材研究にほとんど時間をかけずに教壇に立てるというメリットによるところが大きい。かつて「羅生門」を外して同じ作者の「蜜柑」を載せた筑摩書房の教科書が採択を激減させたのも、定番教材によって担保されている国語教師の安心・安全を損なったからである。たとえば、部活動の公式試合などがあり、ゆっくり休むことができない場合もある大型連休明けに「羅生門」で授業をするという見通しを立てられるかどうかは、高等学校の国語教師にとって死活問題なのだ。

 国語教師の安心・安全を定番教材が担保する。

 ICTを活用した国語授業の実践事例を集めた編著のシリーズ第一弾を出した頃から、教員研修会に呼ばれる機会が激増した。はじめのうちは導入に懐疑的な空気が強かったが、さすがにGIGAスクール構想が開始され、コロナ禍によってデジタルシフトが加速する中で風向きが変わりつつあることを実感する。それでも、端末を使った授業に取り組み始めた現場の先生方がしばしば口にするのは、「ICTを活用し始めたら、板書をしなくなった。これでよいのかと不安になる」ということだ。これはおそらく、教師の安心・安全を担保するものとして、板書という手法が一定の役割を果たしてきたことの証左である。もちろん、そういう授業ばかりであると断言することはできないが、教壇に立って語りかけ、時おり発問をしながら板書を展開し、生徒たちがそれをノートに写し取るスタイルの授業を続けている国語教師がいることは確かである。板書をするという行為が、手法としておなじみであり、定番のスタイルであるからこそ、それを失うことで安心・安全が揺らぐのだ。

 板書もまた、国語教師の安心・安全を担保する。

 電子辞書が教育現場に普及し始めた1990年代のことだ。中高一貫校で国語教師をしていた私は、電子辞書を手にすることで生徒たちが辞書を使う頻度が向上していることを実感し、喜ばしいことだと思っていた。しかし一方で、板書をしていると生徒たちが頻繁に電子辞書で単語を調べるようになり、「誤字ではないか」などと質問してくることがあって閉口していると他教科の教員に抗議をされたことがある。冗談交じりの会話であったとは言え、この挿話は、教える側と教えられる側に情報量の格差があることで教師の安心・安全が担保されることを示唆している。
 指導書で教材研究をし、赤刷り教科書を手にして教壇に立つ教師は、教室空間において常に情報強者としてふるまうことが保証される。教科書とノートと指定された辞書だけを与え、それ以外の情報にアクセスすることを禁じることで、「教える―学ぶ」関係は安定する。電子辞書でさえ教師の安心・安全をそこないかねないのだとしたら、生徒が自由に情報にアクセスできる端末の存在を歓迎したくないのは当然のことなのかもしれない。チョーク&トークで展開している自分の授業よりも面白くてわかりやすく、文学について深く考えることができる授業の動画が、YouTubeの世界にあったとしたら、動画の授業を視聴させないのはなぜなのだろうか。

 情報端末に対する使用制限も、国語教師の安心・安全を担保する。

 もちろん、国語教師の安心・安全は大事である。しかし、国語教師の安心・安全と引き換えに、第一義的に大事にすべきことが犠牲になるのだとしたら問題である。国語教師の安心・安全を何から何まで手放す必要はないが、おなじみの定番と手慣れた手法に居座ることで児童生徒の未来を犠牲にすることは、教育という営為にとって最も避けなければならない事態である。


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【注記】
 先月(2023年3月)刊行された『早稲田大学国語教育研究』第43集の特集「探究的な学びとICT」のために書いた「国語教師はICTといかに向き合うべきか―探究的な学びとデジタル・トランスフォーメーション」の草稿冒頭部(第一節)である。ウェブ閲覧用に改行を増やすなど、若干の加筆修正がほどこされている。

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