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日本の自動車メーカーはなぜこんなにも「お気楽」で、日本の学校教育はなぜこんなにも「不易」なのか

 1980年代、アメリカの自動車メーカー「ビッグスリー」は、燃費の良い日本車が売上を伸ばしているという現実を前に「これは一瞬の出来事で長続きはしない」と思いこんでいたという。
 成功しすぎた企業は、成功し続けることが堅固な日常に見えてしまい、変化が起きても気づかない。
 クレイトン・クリステンセンが提唱した「イノベーションのジレンマ」である。

 そして、成功しすぎた日本の自動車メーカーが、今まさにかつての「GM」「クライスラー」「フォード」というビッグスリーと同じ轍を踏みつつある。電気自動車(EV)の時代への変化が明らかに起きているのに、 イーロン・マスクのテスラや中国のBYDの台頭を過小評価し、「見てみぬふり」をして沈没しつつある。

 リチャード・カッツの見立てだ。

 まったく同じことが、成功しすぎた日本の学校教育に起こっている。

 GIGAもコロナもデジタルシフトも、「一過性のものに過ぎず、長続きはしない」と。

 ChatGPTもBardもBingも、たんなる「流行」に過ぎない。
 
これまで変わらずに続いてきた「例年通り」、すなわち「不易」にこそ価値がある、と。

 価値があるからこそ、板書も手書きノートも全員一律の授業も感想文の宿題も運動会の行進も、「不易」として残っているのだ、と。

 リチャード・カッツの指摘が杞憂であり、日本の自動車メーカーも日本の学校教育も、これからも「世界に冠たる」ものであり続けることを祈るばかりだ。


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