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自分と文通して分かったこと - 5年前の自分から手紙が届いたので、恥ずかしいけど公開してみます!

私には、あんまり人には言っていない、ひそかな趣味がある。

それは、過去の自分と手紙交換をする、というものだ。
言い換えれば、将来の自分に手紙を書く、ということでもある。

いつから書き始めたんだろう。
はっきりとは思い出せないけど、たしか小学6年生くらいの時だったと思う。
死ぬことが急に怖くなって(小さい頃ありませんでしたか!?)明日死ぬかもしれないと思い、今の想いを全部紙の上にぶちまけなくては…!という焦燥感に駆られたのが、きっかけだった気がする。

たまに遺書っぽくなることもあり、全くネガティブな内容ではないけれど、「私が死んだら、絶対に骨髄ドナーに登録して下さい!!」と切実に書いてある手紙もあった。死ぬ寸前のすがり方だった。おそらく高校の倫理の授業で骨髄バンクのことを知り、めちゃくちゃインスパイアされたんだと思う。親が見たら、遺書!?何事!?って泡を吹いてひっくり返ると思ったから、そっと隠して保管していた。


点を、打ち続ける

節目に書く時が多いけど、書く内容は様々だ。今の現状報告であったり、過去の懺悔であったり、未来の自分へのエールであったり。

でも、きっとどこかで、「この感情は忘れてはいけない」と感じた時に、湧き上がる何かを、文字に起こしてあげる作業なんだと思う。そして、手紙を書いているうちに、ひとつの確固たる「点」を作っている感覚になる。

流れ行く時間軸の中で、一歩立ち止まり、文字を紡ぐことで、「点」は打たれ続ける。その小さな点たちが繋がって、線になる。その線が伸びた先で、数年後の自分が過去の自分と出会う瞬間が、私はとても好きなのだ。

大したことない悩みでくよくよしている自分が可笑しかったり、社会に対して憤っている自分をなだめたり、目の前のことにまっすぐに頑張っている自分が、ちょっと羨ましかったり。

その時にしか打てなかった点を、その時にだけ抱いた感情を、愛おしく思う。幸せな時間。

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5年前の私が、書いていたこと

私は今さっき、5年前の自分からの手紙を読んだ。封筒には「4年後の自分へ!」。その横には「Dear myself in the future」 と下手な筆記体で書いてある。卒業時に読むことを想定していたが、結局大学生を5年間やったので、1年ずれちゃった。

プライベートな文章なので恥ずかしいけど、いつかまた自分で読めるように、書かれている手紙の文章を一部、ここに書き写そうと思う。

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卒業した自分へ 

卒業おめでとうございます!!  ちゃんと卒業できてよかったね。
私はこの前高校を卒業したばかりで、まだほやほやの新入生です。
今は社学の14号館の6階の椅子に座りながら、この手紙を書いています。
はやいもので、入学式からちょうど今日で1ヶ月だ!
… 
今日を区切りとして、私は少し意識を変えようと思う。
まず、自分の置かれたところで咲く!ということ。
咲くためには、ちゃんとした土、水、肥料がないといけない。
ここで今までの違うのが、誰もきれいに咲くために必要なものを提供してくれないってこと。
豊かな土がほしければ、澄んだ水がほしければ、あたたかい光がほしければ、自分で用意しないといけない。それを実感した1ヶ月だった。

自分次第だ。美しく咲いて実をつけるか、それともしおれて枯れるかは。
自分の人生は自分のものであるのはあたりまえのことなのに、改めて自分で何もかも決めていける環境に置かれると不安でいっぱい…。
でも、幸いなことに私にはたくさんのステキな友達、尊敬できる友達、また会って話したいと思える友達がいる。こんな人がたくさんいる環境を大切にして、感謝しなきゃいけないなぁ。と思った。この気持ち、忘れないようにしよう。

4年後、私はどんな人間になっているのかなぁ。
なんとなく、大人っていう枠組みに入るのかなぁ。
キラッとした人間になりたいなぁ。

人生楽しんでいますか?
自分のなりたい自分になれましたか?
4年後、詳しく教えて下さい。

2015. 5. 1

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埋もれてしまっていた初心に、救われる

手紙を読み終え、卒業できてよかったと改めて思った。憧れの志望校が、母校になったよ。まずはそう、当時の自分に伝えたい。そして、すごく不安だった大学1年生の自分を思い出した。憧れの大学には入ったものの、ぽんっと渡された限りない自由をどう使っていいのか分からず、焦っていたなぁ。5年の学生生活を終えた今の自分に、問いかけてみる。自分のなりたい自分に、なれましたか?

実はこの手紙を、私は毎年読み返していた。だから読むのは数十回目なんだけど、でもやっぱり社会人になる手前に読むと、感慨深さが違う。
書いた時から、1年後、2年後、3年後のときも。
もともと卒業するはずだったけど結局しなかった4年後の日も、ちゃんとこの手紙を読んだ。そして、よし、あと1年頑張ろう、と思えたのだった。

一応便箋には、”開封日時” は書いてあるけど、その日までに何回も読んでもいいというのが、マイルール。そうすることで、なりたい自分に向けて軌道修正できたり、手紙に大切なことを気付かされたりするからだ。

この手紙に助けられたのは、大学1年生の冬だった。大学に行くのがだるくなり、怠惰の権化のようになった時があった。ずっと行きたかった留学も行かなくていいかなぁ〜って妥協しかけていた時。この手紙を読んだら、「この時の私を裏切れないな」って気持ちがこみ上げてきた。大学に入学したての自分が抱いていた、留学したい!という初心を思い出して、無事その後スウェーデンへの留学を決意できた。手紙を書いてくれてありがとう、と当時の自分に何度も思った。

過去の自分と話すことは、今の自分と話すことでもある。そして、今と未来の約束をすることでもある。
そして、過去の自分が期待していた自分になりたいと、修正してくれたのが、この手紙だった。だから、その後も何回も読んだんだよなぁ。

元気がなくなった時には引っ張り出して、定期的に読む。自分だけの、小さな処方箋だ。

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感情のデトックス

「期待」も「不安」も、
「好き」も「嫌い」も、
「生きたい」も「生きにくい」も。

書き連ねていくうちに、不思議とだんだん気持ちが落ち着いてくる。
自分の文字を見ながら、紙への筆圧を感じながら、未来の自分と会話しているような気分にもなる。

いろんな想いをごちゃまぜにして、便箋の上に転がし、そしてきれいな封筒にそっとしまう。
「〇年後の自分へ」「〇〇年〇月〇日に開封する」などと書いて封をすると、まるでタイムカプセルのような存在になる。

この一連の時間が、感情の整理にもなるし、ネガティブな気持ちも結局は未来を考えながら、じんわりと明るくなっていく。一種のデドックス効果もあるんじゃないかなぁ。


いつ死ぬか分からないから

これからも、手紙を書き続けようと思う。直近で言うと、新社会人が終わって1年後の自分に。今抱えている不安や期待は、きっともう感じることのできないものだ。思い出せたとしても、きっと多少は美化されたり、加工されたてしまう。だから、生のまま。感情を残そうと思う。

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コロナで、お家にいる時間が増えた方も多いのでは。そんな時こそ、一緒に将来の自分に、お手紙を書いてみませんか。

1本のペンと、1枚の便箋、あとは平らなところさえあれば。自分との文通は、始まります。

寒く厳しい日が続きますが……。明日も、みなさんにとって、いい1日になりますように!

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