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人生旅録 旅は私を知ることである

鬱は突然に

 現在メルボルン旅行6日目。絶賛体調不良。動けない、ご飯も食べたくない、疲れたし呼吸がしずらい。この症状はかなりのデジャヴ、うつ病の入り口である。理由には心当たりしかない、だって私はいま世界ランキング第9位の大都市にいるのだ。

 幼い頃から東京は苦手だった。繁華街を通りたくないという理由だけで本厚木の高校には通えなかった。前回メルボルンに来た際も一度体調を崩し、高校の海外研修先ではロサンゼルスだけ全くもって楽しめず、大学のため引っ越した札幌では躁鬱病になった。大好きなオーストラリアの中でもブリズベンは好きじゃないし、ゴールドコーストは可能であればなるべく通りたくないし、メルボルンには友達がいなければもう2度と行かないと思う。

 出身地は山の麓、高校は大きな運動公園の近くで木に囲まれてて楽しかったし、留学先のカナダは森のど真ん中でいつでも戻りたいし、大学のゼミでお世話になった岐阜の小さな町にも、ご縁があって定期的にお邪魔する山形のはずれにも、北海道の田舎にも、研究のため通った田んぼにも、一瞬たりとも飽きがこない。ワーホリ先に選んだバイロンベイは海と大自然の町で運命だと思ったし、そこから遊びに行った滝とか湖とか山とか森とか海とか全部全部心が踊って仕方がなかった。

 何か明確な理由があるわけではないけど、今までの経験では、どんな都市にもときめかないし、どんな都市も好きになれない。「ここには馴染めない」と反射的に全身で感じる。いるだけで疲れる。馴染めない場所に長く留まっていると、自分が失敗作のような気がしてくる。誰もが憧れるようなキラキラした都会で、私が感じるのは疲労感と絶望で、向上心のかけらも湧いてこないまま、ただただどこかに逃げたくなる。私はこの世界で生きるのには向いていないのではないか?と思い始めたら立派なうつ病の出来上がりである。

 メルボルンは、私が人生で初めて経験した海外である。15歳の春に親戚の叔父叔母に連れてきてもらった。初海外の衝撃はやはり大きくて、それ以降、英語ともう少しの人生経験を身につけてからは、メルボルンを再訪することは大きな夢の一つだった。楽しみで仕方がなかったはずなのに、来てみてびっくり、たどり着いたのはうつの入り口だった。札幌に引っ越したときは、コロナ渦だったから躁鬱になったのだと思っていた。しかしここまで来れば確信、私は都会には向いてない。

この先どう生きようか

 さあ、誰もが憧れるキラキラ都会生活を、私はどう頑張っても楽しめないと確信したところで、考えちゃうのは私の将来。勉強は好きだ。仕事も好きだ。刺激とやりがいのある面白い仕事がしたいし、バリバリ働く女性になりたいし、少なくとも20代前半は全力で稼いで全力で遊びたい。でもそのためには、仕事が必要で、大きなビジネスっていうのは都会に集中するものだ。仕事のために都会に住んで何年も躁鬱の波と戦うのはごめんだけど、大自然に囲まれたど田舎で細々と、、っていうのはちょっと刺激が足りない気がする。大学卒業まで1年半、そろそろ本気で色々調べて、私の生きたい人生を作りに行かなきゃ。

旅の報酬

 色んな場所に住んでみて、旅をしてみて、世界に触れてみて、良かったと思うことはいくつかあるけど、ずば抜けて価値を感じるのは「自分自身をよりよく知る機会が多い」ことである。違う環境に身を置いて、色んな人に出会ってみると、嫌でも自分と向き合う機会が増える。海が好きなのも、都会が苦手なのも、世界のどこにいても米が食べたいのも、夜の賑わったレストランよりも朝昼の穏やかなカフェの方が好きなのも、人といないと寂しくなるのも、そのくせ1人の時間がないとストレスが溜まるのも、旅を通して気づいた私の一面だし、自分と合う人、好きな場所、心が踊る瞬間にはある程度一貫性があることも、色々試してわかってきた。

 これからまだまだ長いだろう人生、どうせなら自分の好きなように生きたい。とは思っていたけど、そのためには「自分の好き」を知らないといけないということには、なぜか気づいていなかった。旅をして、昔より少しだけ自分を学んで、昔より少しだけ、自分の生きたい人生像のピントがあってきた気がする。


親愛なる私へ、
まだまだ20代前半、色んな挑戦をして、経験に時間もお金もがっつりかけて、好きにも嫌いにもたくさんぶちあたって、もっといろんな私を見つけて行こうね。

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