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講義篇1:「生きづらさから考えるソーシャルデザイン」とは

この記事は、2022/09/16にRadiotalkで収録したものを文字起こしして、さらに修正を加えた内容です。
元音声が聞きたい方は以下のリンクからどうぞ↓
#Radiotalk
#Non Shikaneの考え過ぎRadio

新しいシリーズを始めようと思います。だいぶ間が空いてと言うか、だいぶご無沙汰しておりましたけれども、またラジオトークで収録したい内容が、コンテンツが、また出来てきたので、それについて話していこうと思います。
基本的に私にとっては、Radiotalkのアプリを使うっていうことは、私の考えをまとめるために、自分のために使っているのであって、あんまり「人に聞かせよう」っていうのは副産物でしかないんですけれども、そういうところで、もしお付き合いして頂ける方がいればお付き合いいただければと思っております。

「生きづらさから考えるソーシャルデザイン」概要

「生きづらさから考えるソーシャルデザイン」っていう新しいシリーズを立ち上げます。
ここでもう簡単にoverviewを話してしまおうと思っております。
「生きづらさから考えるソーシャルデザイン」っていうことで、どういうふうなことを話していこうか、考えていることをざっくりお話しますと……これからあのいろんな生きづらさについて取り上げていきます。
例えば生活困窮であるとか、発達障害であるとか、希死念慮ーー要するに「死にたい」っていうふうなね、気持ちっていうか、欲望というか、そういうものーーであったりとか、うつ病、人間不信、DV、ひきこもり、社交不安、パワハラ、虐待、PTSD、っていう、そういう重たいテーマを……あと、毒親も取り上げようと思いますね。
そういう重たいテーマを扱っていくんですが、これらは私が仕事上、相談者さんの悩みとしてよく聞くトピックになります。これ以外にもいろんなトピックありまして、一概に全てを取り上げることができないんですが、大体、頻度として、こういう悩みが多いかな、っていうことを一つ一つ取り上げて、それに対して詭弁を弄していこうと思います。

詭弁です。

まぁ皆さんのイメージとしては「詭弁」って言うとね、「そんな無責任なこと言って」とか「そんな、人を騙そうとして」みたいな、そういうふうなことを想定されると思うんですが。
私は生きづらさの漢方薬としての詭弁というものがあるというふうに思っています。これから話すことは、「生きづらさから考えるソーシャルデザイン」ということでね、一つ一つの悩みに対してテーゼを突きつけていこうと思うんですけれど、それらは全て詭弁です。医学的に根拠があるわけでもないし、福祉として正当なメッセージであるっていうふうなね、そういうことでは決してないかもしれないです。どちらかというと、哲学的な空理空論のように思えるかもしれませんけれども。
実は、相談者さんの悩みに対して詭弁をもって答える、っていうことは、ある種考えを促すために特効薬とは言えないまでも漢方薬みたいな感じね、ジワジワ効いてくるのではないかなっていうふうに思ってます。というのも、人はある違和感のある考え方に対しては、「それは違う」みたいな反応を示したりとか、あるいは「それはどうなんだろうな」って一旦立ち止まってしまうという、そういう作用があります。それが非常にいいんですね。一旦、「相手の言っていることは本当なのかな」とか「相手に言ってることは何か引っかかるな」っていう、そういう引っかかりがじわじわ相談を終えた後のその人の考え方……その「考える」っていうことを促してですね、最終的には自分なり解答をその中で見出していくっていうことです。
だから、なるべく質の良い詭弁というものを私は用意したいなというふうに思っていて。だから、これから例えば、生活保護を受けてる人に対して、「生活保護は人生のデトックス期だ」というふうな詭弁を私は弄します。これは一つの例です。で、別に「生活保護は人生のデトックス期だ」というのは真理でもなければね、ある種のごまかしというかね、そういうふうにも聞こえるかもしれませんけれども、そういうところから考えていく、考えを促すっていうことが、私のやりたいことであります。
で、考えを促していく、っていうその発想の源なんですけれども、詭弁の源ですけれどもね。詭弁の源としては、やっぱり皆さんが想定する枠の外側、外部ですね、そこに出るっていうことを私は意識したいというふうに思っています。人間は自分の想像の外部から出てくる発想っていうものに非常に違和感を持ちやすいです。「何でそんな発想の言葉が出てくるの」とか、「何でそんなこと言うの」とか、あとは「何でそんな考え方をこの人はできるんだろう」とか、そういうふうな違和感が詭弁っていうことの源になってくるわけですよね。想定の枠外から出てくる詭弁っていうものを用いて、悩みの内側にこもっている、皆さんは悩みの内側にこもってらっしゃる、その悩みの内部にいるところに対して、外側からハックを仕掛けるっていうそういう作業をこれからしていきたいと思っているんですね。
で、そういうふうにハッキングをしていくことによって、ハッキングしてる私は社会から浮きます。当然です。想定の枠外っていうことは、誰も想定してないところにいるっていうことは、要するに社会からも、相手からも、相手のいる社会からも浮いている、っていうことですね。そういうものとして自分は存在しながら、対話をするわけです。社会と対等に対話をするっていうこと。これがソーシャルデザインっていうことの中で必要となるスキルなのではないかなっていうふうに思っています。
つまるところ、ソーシャルデザインって何なのかっていうと、要するに社会の外部に出る、外部に出たところで社会と対等に会話する、対等に対話する中で「デザイン」っていうことですけれども、要するに整理ですよね。整理をしていくわけで、社会をある程度の交通整理をしていくわけです。強調し足りないところを強調して、強調しなくて良いところをフォントを小さくする。例えば、必要なものを洗い出して、不要なものを捨てていくとか。そういうことの繰り返しです、ソーシャルデザインということは。それはグラフィックデザインであれ……まぁ、何でしょうね、色んなデザインあると思うんですけれども、グラフィックであれ、音のデザインであれ、デザインと名のつくもの……建築とかでもそうですね、デザインと名のつくものは大体そういう特性があると思います。交通整理をするっていう。そして、新しい価値を生み出す。交通整理をする中で新しい価値が「浮き彫りになる」っていう感じですね。
それは、新しい生き方であったりとか、もっと生きやすい社会を作るだとか、そういうところに結びついてくるのかなっていうふうに思います。決して、完全な社会とか善い社会とかそういうふうなことではないように思います。最終的にはそれを永遠に目指し続けるみたいな考え方もできるかもしれませんけれども、そもそもそういったイデア的なものがあるのかどうかっていうのも私は疑いたいなと思っております。
ざっくりお話しました。とりあえず、今回は以上です。次回から、一つ一つ取り上げていこうと思っております。


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