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生きづらさから考えるソーシャルデザイン・序章

プロパガンダ

日本という国で相談対応に取り組み、日々社会課題について学んでいると、ふと思うことがある。
この国では、詭弁を弄することも難しいのだろうか?
何もかもあらゆることに真剣に向き合っているようでいて、法律の枠・社会通念の枠・思考の枠というドツボにはまっていないだろうか?
何もかもあらゆる問題に対してシリアスであることだけが、ほんとうに正義なのか?

我々は「常識」という思考の枠にとらわれている限り、ユートピアを目指そうとして常に既にディストピアを再生産し続けてしまう。
ならば、今こそここで常識外生命体にご登場願おうではないか。
常識外生命体が語る言葉は、常識内存在にとっては「詭弁」に聞こえるだろう。
詭弁はディストピアの特効薬ではない。ユートピアへの道標でもない。
だが、詭弁を用いることによってディストピアがもたらす閉塞感に対してじわじわとハッキングを仕掛けることはできる。
その意味で、詭弁は漢方薬であるといっていい。

さあ、これから我々の抱える生きづらさにいまこそハッキングを仕掛けよう。
思考の枠の外側に出る旅をしよう。
常識外生命体とともに、自ら進んで詭弁を弄するアホでいよう。
我々が何で悩んでいたのか、我々の悩みとはそもそも何であったのか、社会通念という枠の外側から見つめ直してみよう。
そしてそこから、我々を苦しめてきたディストピアと対話をしよう。

方法論

  1. 詭弁は生きづらさの漢方薬

  2. 想定の枠の外部に出る

  3. 社会から浮き、社会と対等に対話する

効果

  1. 「社会課題の解決」という課題に対しては安心して無力であり続けられる

  2. 悩みそのものに対して無力でありながら、悩める人に対しては生き続ける勇気を与えられる

  3. 社会の想定の外部に居場所を生み出す原動力を持てるようになる

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