私の家族
という、ハッシュタグイベントをみつけた。
私が『海』と聞いて1番に思い浮かぶのは家族だ。大好きな両親、大嫌いだけど、だからこそ仲良しな兄弟。
両親はとてもアクティブで、アウトドアが大好きだった。私が生まれた日の明け方も、夫婦で朝釣りに行っていたらしい。下手したら海で産み落とされていたかもしれない。産まれてから大きくなるまでのアルバムは何十冊もある。ほとんどが屋外での思い出写真だ。山、川、そして海。
父は釣り人。そんな父と一緒に釣りに行くのが好きで、20歳をすぎた今でもタイミングが合えばついて行く。タイ、メジナ、チヌ、タチウオ、ウミヘビ、フグ、ハギ、キス、イカ·····これまで釣り上げた魚の種類は数え切れない。半日釣り続けても1匹も釣れない日もあった。特に話が盛り上がるわけでは無い。でも、ぼーっとしながら父と並んで釣り糸を垂らす時間が大好きだった。小さい頃から沢山遊んでもらったおかげで、父への反抗期が一瞬も無い。家族全員顔を合わせれば昔の思い出話に花が咲く。
『大人になった時に沢山思い出があったほうがいいと思っていた』
成人してしばらくたった頃、そう言われた。
私たち家族には数え切れないくらいの思い出がある。家族の仲がいいのはそういうところだろう。知人や近所の人からも「仲が良くて羨ましい」「いつも楽しそう」「家族になりたい」とよく言われた。
覚えている最古の記憶も、キャンプだ。私たち家族の海水浴はいつだって岩場だった。岩場からの飛び込み、素潜りでの貝とり、サンゴを眺めたり魚を眺めたり·····。時には海底の岩にひっかかった誰かの釣り道具をみつけて父にプレゼントしたり·····。重たい石を持てば身体が浮かずに水中でいきの続く限り遊べることも、自ら考えた。命に関わる危ない事さえしなければなんだってできた。その代わり本当に危険な事をした時はこっぴどく叱られた。
砂浜やビーチでの海水浴は、他の家族との合同キャンプの時くらいだった。足が届く場所での海水浴の楽しみ方を知らず、深いところまでいくもんだから他の家族から心配される事もあった。
私が幼い頃は、空は濃い青で、サンゴはカラフルで、そこに集まる魚たちもカラフルでたくさんの種類がいた。波打ち際で遊んでいると足を着いた時にヒラメを踏んでしまう事もあった。自然が豊かでとても綺麗な海だった。家族と海で過ごす時間はあまりにも多すぎて、それでいて思い出深いく、あまりにも鮮やかすぎる。
物足りない日々を過ごしている。あの頃の海をもう見ることはできない。
世界が変わったのか、私が変わったのか。
思い出の中にある海での時間は、いつだって鮮やかだ。
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