キリエのうた 感想とかいろいろ【ネタバレあり】

キリエのうたを観てから2週間以上経ちました。
未だ色褪せず、寧ろ日々暮らしている中でキリエの曲が浮かんできます。
辛い時、苦しくて心を殺してやり過ごす時、不思議と頭の中で憐れみの讃歌が流れます。
憐れみの讃歌はうまく生きていけない人たちに寄り添ってくれるような曲に感じます。
こんなはずじゃなかったよね、っていうのは特にイッコちゃんたちに響くはずの曲だったので、フェスまで辿り着けなくても、場外からでもイッコちゃんに聞こえててほしいって思います。

キリエのうたは基本的には終始救いがなくて、でもどうにか救われたいような話です。
そんな中にもたまにはいいことや輝きもあって、でもうまくいかなかってやっぱり救いなんてないかもしれない。それでも生活は続く。我武者羅に生きる。そんな話です。

最後も考察の余地があるけど、現実的に考えると騙していた男の恨みを買って刺されたイッコちゃんがフェスまで辿り着けたか怪しいですし、失血で死んでしまった可能性も高いです。仮に運良く生きていても警察に捕まって、いずれにせよ、またるかちゃんはイッコちゃんという大切な友達を失ってしまいます。
最後のエンドロール後も、るかはどこにも居場所はなくて、ものすごく狭いカラオケボックスくらいしか行く場所はなく、ひどい虚無感の中何も考えずナポリタンを貪ってたのかなって思いました。
それでも、イッコちゃんは警察に追われて男に刺されてる中でもキリエの晴れ舞台を見に行こうと歩き続けたことは事実ですし、キリエも多分イッコさんは来てくれるって思いながら無許可で止められても歌い続けたんだと思ってます。
どんな苦境に立っても挫けなかった、「こんなのかすり傷」って戦っていた、そんな映画だと思いました。

一見、キリエになったるかちゃんは抱えた辛い記憶が大きすぎて、苦しいとか、救われたいとかすら、分からなくなっちゃっていて、逆に無邪気で無垢に今を生きてる人のようにも見えます。
ただ、彼女が作る歌詞、うた、そして声を出した時に「お姉ちゃん」と過呼吸になりながら泣いてしまうところからも覚えてなくても本当に苦しい記憶を抱えてるんだと思います。

また、映画の中でイッコちゃんとキリエ(姉)は多分対比的に描かれていたのも印象的でした。
キリエもイッコもお父さんを亡くしていますが、キリエやるかの家では津波が来るまでは、音楽や優しい人たちが溢れる日々です。キリエの母もキリエの妊娠を信頼して受け入れたり、キリエも津波の時にお母さんがるかのところにいるかもと思っています。地震で家の中がぐちゃぐちゃになった時も、キリエはお父さんの遺影が倒れていることにお父さんの遺影までぐちゃぐちゃにされたとひどく悲しみます。何より、自分が津波で死ぬかもしれないことより妹のるかを助けに行きます。そんな、父親を失っても平穏に仲良く祈りを捧げながら暮らしていた小さな家族の日常でも、突然の津波で全て奪われてしまう理不尽さ、悲しさ。キリエの家は教会?なので、神は救ってくれているのか。それでも幼いるかは祈りが日常の家で過ごしてきて、大阪の教会で一人涙が止められず祈っているのが見てるこっちも泣けてきます。
モーゼの十戒のような津波だったので、神の裁きを意味してるのかもしれません。あと、生き残った人たちはノアの方舟を意味してるのかなとか、そこまでキリストには詳しくないけど、そんな印象を受けました。「キリエ」の意味を調べたら「主よ」というキリストの祈りの意味だったので、キリストもこの映画のモチーフかもしれません。

対するイッコちゃんはお父さんは生きているけどお母さんを捨ててどこに行ったのかもわかりません。勝手な憶測ですが、イッコちゃんも振り回された男の子うちの一人から生まれた子どもなのかなって思いました。
イッコちゃんはお父さんのことは知りもしないし、唯一のお父さんの私物のギターもるかにプレゼントしてくれます。イッコちゃんにとってはお父さんは存在は知ってるけど、存在しないし、今友達になれたるかたちの方がずっと大事だったんだと思います。
お母さんも一応娘を育ててはいますが、水商売で酔っ払い、男に振り回されているようなお母さんです。一番良くないと思ったのが、イッコちゃんの将来をスナックのママになることと決めつけていること。挙句、男が学費を払うと言ったら急に大学に行かせて「あげる」と。娘の意思はお構いなしです。所謂毒親です。
イッコちゃんは地頭は良くて、でも環境が悪くて友達もいないのかと思いました。
それでも、こんな家からは出たいという一心で、無事大学まで合格します。その時もお母さんの男の人を含め家族で豪勢にお祝いはするけれど、家族は皆「男の人のおかげ」と言っていて、誰もイッコちゃんの努力を見てはいません。唯一心から合格を祈ったり、素直をおめでとうと言ったり思ってくれたのら夏彦とるかだけだったと思います。その大学生活すら、お母さんと男の破局というイッコちゃんにはどうしようもない理由で取り消しになり、お金がないので辞めざるを得なくなります。
最初のシーンではイッコちゃんのことはよく分かりませんから、イッコちゃんが中華屋で「大学?辞めちゃった。お母さんが男に振られちゃってさ。家に帰ってこいって言われているけど絶対嫌」みたいに軽く言ってたことに後から強いショックと、やるせなさを感じさせるのが魅せ方がすごいです。
家に帰らないために結婚詐欺をして男の家を転々とするのも皮肉ではありますが、自分の人生を生きるために手段は選ばないというのと、今まで振り回されてきた男への反抗でもあったのかなって思いました。

家庭環境は違うるかとイッコちゃんがお互い唯一の友達になれたのは、お互いに深い傷を負っていて、それを何でもないように接することができて、個人として認め合えたからだと思います。
だから、るかにとってイッコさんはたくさん助けてもらった人で、イッコちゃんはどんなに辛くても取り繕ってきたのにるかの歌に救われて涙が止められなかった。
二人にとって、お互いがかけがえのないパートナーで、友達だったんだなって思いました。
最初のシーンで高校生時代に、ふざけあって雪の中でイッコちゃんの大学進学という願いや希望を持ちながら倒れてはしゃいでた二人と、最後の方のシーンで警察に追われて行き場のないイッコちゃんと、イッコちゃんを失って野良で音楽をやるにも限界になってきたるかが、特にイッコちゃんは絶望して力なく浜辺に倒れているシーンも多分対比になっています。
変わらないのはるかの歌で、それも泣けてきます。
るかにとっても、音楽だけはずっと楽しくて、そばにいてくれたものなんだと思います。だから声を出すと辛すぎて泣いてしまっても、歌は歌えるんだと。

夏彦のことまで書くと収拾がつかなくなるので、一旦ここらへんで感想を終えますが、映画では泣きすぎて聞き取れなかった曲を映画を見てから改めて聴くと、るかがどんな思いで生きてきたのかが伝わってくるようです。
そんなキリエの曲だから、心が折れそうな時に、現実の自分もキリエのうたに出てくるたくさんの曲に救われています。

憐れみの讃歌の「繰り返す痛みにも慣れていく それでいいんだと」とか「希望とか見当たらない だけど 何度だっていく」とか辛い時に何とか立ち続けられる力をもらえます。

他にも名前のない街の「意味ないことはないはずだ」「こんな世界でも生活は続くんだ」とか、アルバムに入っている曲どれも素敵です。
キリエのうたの欠片を聞いているみたいです。

本当にいい映画なので、多くの人に届いてほしいって思います。
少なくとも、私にとっては日々消費されていくコンテンツの中で、ずっと心に残って、励まされたり、考えさせられたり、大切な映画になりました。
すごく大好きです。

また感想書きたくなったら書きます。



この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?