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書いて、書いて、生きていたいね。

言葉にできないくらい辛いことはあるのだと、人として生まれて初めて思い知った。



5年間、大学生の頃から一緒にいた恋人が、この夏に過労で倒れた。以来、家から出ることはおろか、日常生活を自力で行うことすら難しくなった。


遠方の実家に帰った彼とは、この半年のうちに一度しか会えていない。電話で声を聞くことすらままならない。一人暮らしの彼の家によく遊びに行っていたことなんて、まるでおとぎ話か夢だった。


実際、夢を見ていた。2人でつくる料理は楽しくて、何を食べようか話しながら近所のスーパーに行った。そのとき決まって、一台しかない彼の自転車に私が乗って、彼はその隣を急ぎ足で歩いてくれた。

春でも夏でも、よく鍋を作った。いや正確には作ってもらうことのほうが多くて、ぐつぐつと煮える具材を見つめる背を私は少し離れたところで見ていた。

そうして客人扱いされるのが嬉しかったり寂しかったりして、でもまぁあのときの私に包丁は渡せなかったよな、たまにしか料理をしない私だったから。

毎日一人で暮らして、ご飯を食べていた君には敵わなかった。君が一生懸命火を通してくれた豚のしゃぶしゃぶは、少し固いけれどよく出汁の味が染み込んでいた。


そう。出汁とおんなじだ。君と過ごした日々は、5年間側にいた分だけ、私の中に染み込んで。

彼が倒れてからの半年、何も手につかない日も、から元気で笑っていた日もあった。ただ私まで倒れてしまわないように、少しずつ心を凍らせて、閉じ込めて。この状況はいつまでも続かない、いい方向にきっと向かうのだと自分にも彼にも言い聞かせて。


なんでもない日、花を贈ってくれたことを思い出す。本当になんでもない日、私と会う前に花屋に立ち寄ってくれた彼。初めて贈られた花だった。

赤いガーベラに小さな薔薇、真っ白なチューリップ、それから霞草。

ドラマ「きのう何食べた?」の、確か8話だったと思う。その人を思い出すとき、どんなエピソードが浮かぶかという話。

いろんなことが思い浮かぶけど、やっぱり私はこの花を思い出すかなぁ。私が花をもらって嬉しいのだと、喜ぶだろうと想像してくれた君のことを、私もまた想像する。サプライズをいつも隠しきれない君が、珍しく本当にサプライズでくれた花のこと。


彼が倒れてから、当たり前に眠れない夜は増えた。眠れないどころか、いつも生きた心地はしなくて、主観で見ているはずの生活はどこか通り過ぎていく映画のフィルムのようで。

彼が一度本当に死ぬつもりがあったと知ったとき、もう何もかもが自分の手から離れていくような気がした。大切に抱きしめていたもの、そのつもりだったものが全部、最初から手の中になかったような。


半年、経って、私はいつか君が元気になったときにふるまえる料理のレパートリーをせっせと蓄えている。そうできるまでになった。

相変わらず心と時間は乖離したままだけれど、こうしてまた生活の一部を言葉にして、書き残していきたいと、そう思えるようになるまでは。

りんごのケーキくらいは、クール便で送ればきっと食べてもらえるだろうな。
近々焼いて、クリスマスプレゼントに贈ろうなんて思いながら。

生きていたいね。命ある限り、心に浮かぶ限り言葉を綴りながら、美味しいものを食べながら、眠れなくてもあたたかい布団にくるまって、いつしか眠りに落ちて。そうして朝が来ることを喜んでいたいね。

君が側にいない今だからこそ、私は毎日何かと向き合って、またこの場所で言葉を綴っていこうと思う。

一緒にスーパーに買い出しにいける日を、なんでもない日に花を贈ったり贈られたりする日々を、胸を張ってやっとだねって、二人で迎え入れられるように。


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眠れない夜に

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