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【自己紹介/Step2】悩み進んだ過去が今に繋がる

ごあいさつ

こんにちは。Non(のん)です。
数ある記事の中から見つけていただき、ありがとうございます。このご縁に感謝します。

前回初投稿の「はじめてのnote」では、出身や家族構成、性格などについて自己紹介をしました。今回は高校三年生から新社会人に至るまでを振り返った、補足の自己紹介を含む人生の回顧録になります。

拙い文章ではありますが、お時間の許す限り、お付き合いいただければ幸いです。

軽い気持ち

平凡とはいえ、それなりに山あり谷ありだった人生も、なんとか無事に高校三年生まで辿り着きました。中学高校の六年間、吹奏楽部に所属していましたが、体育会系の部活並みにハードだったため、音楽の道に進みたいという気持ちは芽生えませんでした。希望は「県内の大学」とだけ決めており、強いて言えば、タイピングの動作やカタカタといった音が好き、パソコンの一般スキルがあれば便利かな、といった二つの軽い気持ちから、自宅から電車で一時間ほどの場所にある、県内の大学、商経科へと進学を希望することにしました。受験に必要な条件は特に無く、同じ学科へは私以外に受験希望者がいなかったこともあり、たいした生徒ではありませんでしたが、推薦枠で受験。学校に迷惑をかけることなく無事合格し、春から大学生生活をスタートすることができました。

求められる人

大学では簿記や経済学などを学び、時には頭を抱えることもありましたが、好きなパソコンに触れながら少しずつパソコンのスキルを取得していきました。バイトもはじめて楽しい学生生活を送るも時間はあっという間に過ぎ去ります。気付けば就職活動をはじめる時期に突入していました。その頃には大学で勉強してきたこととは全く無関係の「モノづくり(おもちゃなどの開発)」に興味を持つようになりました。専攻分野とはかけ離れており、大学に届く「モノづくり」の求人は、工場の流れ作業しかなく、私の興味のある求人は容易に発見できませんでした。ところがある日、こんな求人を見つけました。空間デザインなどを手掛ける、地元では有名な企業の本社事務。事務職とはいえ、入社できれば少しはモノづくりに携われるかもしれない、もし思った環境と違ったとしても、働きながら専門学校に通うお金を貯めて、また違う世界に行くという選択肢もあるかもしれない。とにかく何事も始めなければ進まないので、目標に向かうための第一歩として、入社試験を受けてみようと考えました。

進路相談の話し相手だった用務員のおじさんからは「ここはたくさん受けるからねぇ、難しいかもねぇ」「みんな滑り止めで○○も受けるから、あなたも受けといたほうがいいよ」と言われるほどの倍率。それでも、滑り止めという理由だけで他社を受けるのは嫌だったので、落ちた時は落ちた時、ダメでも仕方ない!という気持ちで、本命一本のみを受けることにしました。

行動あるのみ

まず、何も知らない会社について知るために、会社訪問をすることにしました。社内を案内してもらいながら実際の業務を見ることで、社会人として働く意識を持ち、学生とは違う世界を体感することができました。また企業の規模が大きく全国展開していること、海外にも支店があり、東京ではなく地元に本社があること、さまざまな職種の人たちが集まっていることなど多くの魅力を感じたため、ここで働きたいと思う気持ちが更に強くなりました。

今に繋がる道を進む

試験は筆記と面接があり、時間帯を分けた一人一人での試験だったことから、当日は他の誰ともすれ違うことすらありませんでした。終始一人だとライバルなどを肌で感じることができず、自分の何が良くて悪かったのかを比較する要素さえ皆無だったため、採用試験という感覚はあまりありませんでした。面接においては自分なりに意欲を伝えることができ、力を出しきった満足感はあったので、後悔することはありませんでした。試験も終わり、気持ちが軽くなったので、ここからは結果が届く日をのんびりと待つことにしました。

数日後、自宅のポストに長3封筒が一通届きました。私宛でした。受験の際の合否は、合格通知が角2封筒で届いていた記憶があったので、手紙だけのペラペラ長3封筒は「あ、落ちた」と瞬時に思いました。もうドキドキすることもなく、これからどうしようかなと考えながら上の空で封筒を開きました。三つ折りにされた白い紙を開くと、目に飛び込んできたのは「採用」の二文字。一瞬では理解できず、無になりました。心を落ち着けてもう一度よく読んでみると、間違いなくそこには「採用」と記されていました。やっと合格したことに気付き、不意に出た涙を拭いながら、離れた部屋にいた母へ報告に行きました。

今思えば、受験は合格すると親が入学手続きをするため「入学のしおり」のようなものが必要で、合格通知にしおりを同封した角2封筒が送付されていましたが、入社は本人が手続きすることができるため、通知の際には、A4用紙
1枚の採用通知書だけで事足りていたのだなと思いました。

今ならセクハラ

ふと私の採用の決め手はなんだったのだろうと思い、自分なりに自己解析をしてみました。まず小論文から思い起こすと確かお題は「あなたが働く理由」。あくまで私の考えとして述べた内容は、「生きていくためにお金が必要であること」「自分で苦労して働くことでお金の大切さを知ること」「欲しいものを手に入れるため」「ひとつのことを継続し忍耐力を養うため」「自立して両親に親孝行するため」など、その当時の自分なりの考えを書きました。

その後の面接については、まず「今お付き合いされてる方はいらっしゃいますか?」と今なら一発アウトのセクハラ発言がありました。当時は居なかったのでそのまま答えました。次に聞かれたのは「どこか他社を受けられましたか?」とこれも今ではアウトと思われる質問でしたが、本命一社のみだったので、ここも嘘をつくことなく胸を張って答えました。今思えば小論文より何よりも「入社二年の授かり婚で退社する人材の補充のため、入社後すぐ辞めない人材」そして「他社を受けていない人材」が求人の必須条件だったように思います。あとは個人的に、関西に住んでいた頃の会社との意外な接点などで話が盛り上がったのも、少なからず加点ポイントになったのではないでしょうか。

結果、新卒採用は三人で、私の大学からは私一人が採用されることになりました。晴れて春から新社会人となりました。

用務員のおじさんには「あんたが受かったんかい」と突っ込まれながらも、喜んでもらえました。言葉は直球ですが、面白くてやさしいおじさんでした。

次回予告

長くなりましたが、今回はここまでとさせていただきます。次回入社後から現在に至るまでの予定ですが、長くなるようであれば二回に分けて掲載します。またのご縁がありますように。

最後までお読みいただきありがとうございました。今日もみなさまにとっての幸せが、たくさん降り注ぐ一日でありますように。


カタツムリをここ数年
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