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自分とは
こんにちは。Nonです。
本当は前回に引き続き、私自身のことについて話していきたかったのですが……それだと「哲学や心理学の話はどうした?」となりそうなので、今回はちゃんとそういう系の話をしていきたいと思います。
さて。「哲学と言えば思い浮かべる物」にランキングを付けるとしたら、恐らく上位に食い込むであろう、「自分とは何か」という問い。
今回は、「自分」について、私の意見を書いていこうかと思います。
と言っても、そんな大それたものではありませんが……。
よろしければ、皆さんの意見も聞かせていただければ幸いです。
『我思う故に我あり』とは、よく言ったものだなあと思います。
『本当は自分は存在していないのではないか?』と考えている自分の存在を否定することは出来ない。
今こうして考えている以上、私は存在する。
(多分)そんなような意味です。
でも、じゃあ、「自分」ってどこに存在するのでしょうか。
もっと正確に言うならば、「自分」はどこで考えていて、自分の気持ちや感情(もっと言うならば魂でしょうか)、そして心というのは、どこにあるんでしょうか。
物事を考えるのは「頭」、つまりは「脳」ですよね。でも、その脳は自分の「体」の一部であって、私が先ほど問いかけた「自分」ではありません。何より脳というのはただの物質ですから、余計「自分」ではないわけです。
では「自分」が考えている行為そのものが「自分」なのでしょうか?
でもそうでは無いんですよね、多分。
ちょっと論点がずれてしまうかもしれませんが、言ってしまえば、その「考えている」という行為も、ただの物質変換、脳がどうにかこうにかして細胞を動かしているだけのことですから。
そう考えると、「自分」ではないはす。
でもそうなると、いよいよ不思議になってきます。
「心(感情)」というのは、脳で作られているものですから、皆さん、恐らくそれは納得できると思うんです。
でも心=自分ではないです。
だから、「自分」は「心」にも「脳」にも無いんです。
であるならば、この体が「自分」なのでしょうか?
いや、恐らくそうではないはずです。
これは「自分の体」つまりは入れ物、器なだけで、決して「自分自身」ではありません。
体でも心でも脳でも無い。
ならば自分は何なんだ?
自分はどこにいるんだ?
いっそ「自分」とは「魂」そのものだと思えば良いのか?
……しかしそれでは哲学ではなく、神学では……?
それに、もし死んだとき、「自分」はどうなる?
「自分」は「魂」であるならば、「魂」は抜けていくから……。
でも、その入れ物である「自分の体」は……。
…………ちょっと足りない頭の限界がやってきました。
たいして頭も良くないのに、こんな難しいこと考えるから、混乱するんですね……。
というわけで(何がというわけでという感じですが)。
皆さんは、どう考えますか?
「自分」とは何なのか。どこにいるのか。何が「自分」なのか。
考えている自分が「自分」?
でも、それは、「自分」の存在があるかどうかを説明するだけの言葉であって、「自分」が何なのかは、説明していないと思うのです。
(ちなみに、先ほどの「我思う故に我あり」には続きがあるのですが……何か……考えすぎは良くないな、という様な内容でした。ご興味あればぜひ、読んでみてください。私はあまり納得はいかなかったです)
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
よろしければ、ご感想やご意見をくださると嬉しいです。
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