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「カエシテ」 第14話

   14

 週末は基本的に『月刊ホラー』の編集部は休みと決まっている。
 しかし、週末のこの日、オフィスには明かりが灯っていた。
 中を覗いてみると、従業員が一人いた。
 加瀨だ。
 陣内さえ休みを取っている中、彼は黙々と原稿を書いていた。
 現在は一段落付いたことで、オフィスから出た。廊下を歩いて行くと、エレベーターホールを超えた先に休憩スペースがある。自販機が三台並び、手前には小さなテーブルと椅子が置かれている。窓があることもあり、外の風景を見ながらのんびり出来るのだ。編集部の人間が息抜きに使うスペースだ。時間がある時は、福沢や平子と談笑している時もある。加瀨は仕事中でもオフィスを抜け出して、ここに来て息抜きをしている。他の従業員であれば雷を落とされるところだが、彼の仕事量の多さは知っているため、陣内は黙認していた。
(こんな話なら陣内さんが目の色を変えるわけだよな。きっと話題を呼ぶだろうから。誰の目にも明らかだよ)
 買ったコーヒーを飲みながらも加瀨は携帯を眺めている。念のため、ライバル誌の動向をチェックしてみたが、どこもまだこの話には手を付けていない。情報を仕入れていないのか、準備しているのかはわからないが、掲載のチャンスではある。
(このまま出し抜くことが出来れば、うちは一人勝ちだな。その記事を書いたライターともなれば、注目を集めるかもしれないぞ)
 コーヒーを飲みながら加瀨が戦略を立てている時だった。
「止めておきな。あの話は」
 突然、後方から声が掛かった。
 てっきり人はいないと思っていたため、加瀨は飛び上がりそうになるほど驚いた。慌てて振り返ると、後方には清掃員の女が立っていた。女は小柄で、薄水色の清掃会社の制服に身を包み、モップを手にしている。髪は短く、目には陰険な人間特有の人を軽蔑するような鈍い光が宿っている。女は、その目で加瀨を真っ直ぐ見つめている。
「何か言いましたか」
 見たことのない顔だったが、加瀨は聞いた。彼は長く会社にいることで清掃員の人とも顔見知りだ。たまに雑談をすることもある。しかし、目の前にいる女の顔に見覚えはなかった。さりげなく腰に付けている入館証を見ると、高城公子たかしろきみことあった。
「あの話を追うのは止めた方がいいよ。あの話は本物だ。深追いしたら取り返しの付かないことになるぞ」
「何の話をしているんですか」
 片時も目を逸らさずに言ってきた公子に加瀨は思わず詰め寄った。苦手なタイプの人間だけに、声も尖ってしまう。
「今ならまだ間に合う。まぁ、あの男に関してはもう手遅れだけどな。あんたらはまだ無害で済む可能性はある。悪いことは言わないからもう、止めときな。被害は最小限に留めておくんだ」
 公子は相変わらず目を逸らすことなく話していく。声は低く、まるで呪いを込めているかのようだ。窓の外からは太陽の光が注いでいるが、加瀨はまるで薄暗い室内にいるような気味悪さを感じていた。
「あの話は興味本位で手を出すようなものじゃないよ。あんたらのような人間には手に負えないからな。このまま遊び半分で追いかけていれば、怒らせることになってしまうぞ。強烈なしっぺ返しを喰らうはずだ。その結果、あんたらは全てを失うことになるぞ」
 公子は一方的にそこまで話すと、何事もなかったように手を動かし始めた。モップで床を拭いていく。仕事を再開したようだ。
「ちょっと待って下さい。今の話はどういうことなんですか。もっと詳しく教えてもらえませんか。俺には何のことかよくわからないんですけど」
 少しずつ遠ざかっていく公子を追うように加瀨は声を掛けた。最初は気味悪がっていたものの、一方的に話を打ち切られては気になるものだ。
「それは教えられないよ。これだけしかな。とにかく止めておいた方がいい。それだけは覚えておけ」
 だが、公子は同じ答えを繰り返すばかりだ。邪魔だとばかりに仕事の手を動かしている。
「ですから、その理由を聞きたいんですよ。そもそも、あなたは何者なんですか」
 加瀨はなおも追いすがったが、公子は追及をかわしていく。モップを掛けながら廊下を曲がってしまった。
(どういうことなんだろ。今の話は。一方的に、あんなことを言われたって信じる人なんているわけないじゃないかよ)
 仕方なく加瀨は椅子に腰を下ろしたが、頭の中では公子の話を反芻している。
(そもそも、どうしてあの人が知っているんだろ。俺達の追っている話を。そこからしておかしくないか)
 しかし、内容を思い返していくと疑問は次々と生まれてくる。
(もしかして、適当に話していたんじゃないか)
 不審な点が多いことで加瀨の目は懐疑的に変わっていく。都市伝説や怪異を扱っていると、たまに情報を売り込んでくる人間がいる。その中には、それらしきことを言って注意を引き、影でバカにしている人間もいる。公子もこの手の人間なのかもしれない。
(多分そうだろうな。うまいこと的中していたけど。もし信じていたら、時間を無駄にするところだった。危ないところだったよ)
 最終的に加瀨は嘘と決めつけた。彼としても正体不明の人間の話を信じるほど世間知らずではない。そんな人間の話を全て信じていたら仕事にならなくなってしまう。
(せっかくの休憩だったのに台無しだな。気分転換なんて一つも出来なかったよ。今後はあのおばさんに会わない時間帯に来るようにしよう。次もこんな事になったら最悪だからな)
 結局、加瀨は公子の話を無視することにした。コーヒーを飲み干しオフィスに戻った頃には、彼女のことはすっかり頭の中から消え去っていた。


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