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「カエシテ」 第53話

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 その夜。
(本当にバカな男だな。あいつは)
 一人の男が日本酒を飲みながら夜空を見上げていた。東京とは違い、新潟の夜空は満天の星が広がっている。田舎暮らしをしている人だけに与えられる、空からのご褒美だ。男は酒を飲みながら星空を見ることを、夜の秘かな楽しみにしていた。
(わしがちょっと忠告しただけで、慌ててあの山に入っていくんだからな。愚かとしか言いようがないよ。だから、東京の人間は無知だと言うんだよ。インターネットでちょっと調べただけで、全てがわかったつもりになっているんだからな。本質的なことは何もわかっていないくせに)
 星空を見上げながら男は声を上げて笑った。彼は先日、警告のつもりで山根に電話を掛けたが、数日後に姿を見せるとはさすがに想定外だった。姿を見た時は目を疑ったほどだ。
(あの山はどれだけ経験豊富な登山家であっても、詳しい地図を持っていないと出てこれないんだからな。わしの言ったことを真に受けて、何も考えずに入っていくからこういう目に遭うんだよ。まぁ、わしからすれば邪魔者が思わぬ形でいなくなったわけだから、運が良かったけどな)
 男は悦に浸りながら日本酒を口に運んだ。日本酒特有のピリッとした辛みが舌を刺激する。男は思わず顔をしかめたが、酒飲みにはこの辛みが癖になるのだ。余韻を堪能するように首を傾けている。
(あの男が戻ってくることはもうないだろ。日が昇っている時でさえ、方向感覚を失うというのに、今は夜なんだからな。今頃、恐怖を覚えていることだろう。虫に鳥に獣がたくさん近寄ってくるだろうからスリル満点だな)
 再び声を上げて笑いながら、男は一升瓶からコップに日本酒を注いだ。
(これでもう、外部の人間であの山の秘密を知る人間はいなくなったわけだな。あの男も全てを知っていたわけじゃないけど、嗅ぎ回っていたことで神様の怒りを買ったんだろう。罰当たりな奴だ)
 注いだ日本酒を早速口に運ぶと、男は顔をしかめながらも、お決まりのポーズを取っている。
(今後はもう、部外者にこの言い伝えが漏れることのないように気を付けないといけないな。今はネットなんてくだらないものがあるからな。頭の悪い奴に知られたら、すぐに書き込まれてしまうよ。その結果、山を訪れる奴が増えて荒らされてしまうかもしれないからな。そんなことになったら一大事だよ)
 一転して男は気を引き締めた。最近では、廃墟が心霊スポットとして取り上げられ、肝試しの場となった挙句、荒らされたとよく耳にする。地元民の男からすれば、それだけは避けなければいけない。死ぬ前には信頼できる相手に伝えなければいけないが、それまでは赤の他人に口外するつもりはなかった。神様を自分が守っていかなければいけないと自負していたのだ。
(あの山は神聖な場所なんだからな。見ず知らずの奴らに踏み荒らされてたまるかって言うんだよ。害をもたらす奴は駆除に限るよ)
 なおもそう考えていると、窓の外を赤色灯を灯したパトカーがサイレンを鳴らしながら走っていった。
(警察も動き出したか。でも、そこまでだよな。あいつのことは見つけられないよ。こんな事は地元民であれば誰でも知っていることだけどな)
 赤色灯を灯し走り去っていくパトカーを見送りながらも、男は日本酒を口に運んでいた。気のせいか、この夜の酒はいつもよりも美味しく感じていた。


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