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「カエシテ」 第39話

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 同じ頃。
(参ったな。やっぱり失敗だったか。あいつの取材に応じたのは)
 S社の食堂に苦い顔をしている男がいた。
 山根だ。
 現在は昼休みのため、食堂は社員で賑わっている。他社であれば、外へ食べに行く社員も多いが、S社に限ってはほとんどの社員が食堂で昼食を取っている。決して社則で決められているわけではないが、安さに加え味も良く種類も豊富なため、人気が高かった。常時百人が食事できるスペースが確保されているが、昼時は九割方が埋まっている。席では同じ部署同士で固まり、それぞれの話に花を咲かせている。あちこちから笑い声が上がっているほどだ。
 その中、山根は窓際で一人苦い顔をしていた。厳しい目を窓の外へ目を向けている。
 この日は曇り空だったが、路地には多くの人が行き来している。会社員が大半だが、デリバリーの配達員が自転車で颯爽と走り去っていく。
 山根は、配達員の姿が見えなくなったところで重い溜息をついた。手元には、カツ丼が置かれているがあまり手が付いていない。カツは一切れしか減っていない。食欲旺盛な山根にしては珍しいことだ。
(せっかくうちから消えてくれたって言うのにな。あんな邪魔者が動いていたら、戻ってくるかもしれないじゃないかよ)
 苛立ちからか、目の前でほんのりと湯気が立ち上るカツ丼に割り箸を突き立てた。思わぬ事に、隣で小説を読んでいた中年が驚き目を向けた。
 だが、山根は全く気付いていない。
(完全にあいつのことを侮っていたな。都市伝説や怪異を取り扱っている雑誌を作っているなんて聞いたから軽視していたけど、今はこの手の話は人気があるから意外に儲かっているんだな)
 反省しながらも山根は突き立てた割り箸を抜いた。そこで初めて、隣の中年から視線を浴びていることに気付いた。山根が睨みつけると、中年は慌てて視線を外し小説へ目を戻した。
(気が小さいくせに正義感なんて持っているんじゃねぇよ。口だけの偽善者が)
 山根は声に出さずに毒づいた。
 だが、そこで労力を使ったらしい。急に空腹感を覚えた。
 丼を手に取ると、カツ丼を口に運んでいった。空腹を覚えて食べるカツ丼は格別だ。今まで手を付けていなかったことが嘘のように、勢いよく掻き込んでいく。わずか三分で平らげてしまった。
 山根は丼をテーブルに置き口を拭うと、お茶を口に運んだ。
 すると、三十分前のことが甦ってきた。
 今から三十分ほど前。会社は昼休みに入った。仕事に一区切り付いたため、山根も他の社員同様、昼食を捕るため食堂に移動した。
 だが、道中で携帯を見ると事態は変わった。一件の不在着信が入っていたのだ。
 相手は、久し振りに見る名前だった。大事な相手でもあったため、山根はすぐに折り返した。話の内容は会社の人間には聞かれたくなかったため、滅多に人の来ない非常階段へ移動するほど念を入れた。
 その会話の中で、東京から雑誌記者が来て何やら嗅ぎ回っていると教えられたのである。加えて、このままじゃお前の身にも害が及ぶかもしれないと脅されていた。最後には、新聞社で働いているのであれば自分で解決するんだなと突き放された。
 その電話を受け考え込んでいたわけだ。
 本社の人間で知っている人は少ないが、山根には信越支社で勤務していた時期があった。当時は記者として、数多くの取材をこなしたものだ。田舎のため、スクープとなるような事件はなかったが、ある時、一つの情報を得た。
 それは、地方らしく古くから伝わる言い伝えだった。山奥にまつられた神に怒りを祈願すると、変わって恨みを晴らしてくれるというのだ。山根は独自に調べ、関係している人間を見つけ出すことに成功した。電話はこの人物からだった。
(やっぱり、あの件だよな。くそっ、戸倉め。何て置き土産を残していったんだよ。まぁ、これは金田にも言えることだけど)
 電話のやりとりを思い返しては、山根はがんじがらめになっている。空からは雨が降り始め、窓に雨粒が付くようになったが、目に入っていない。
(参ったな。こっちでは山のように仕事が溜まっているのに。でも、俺の元に来られても困るしな。さすがに、あいつらと同じ目には遭いたくないから。かと言って、あの人の言うことを無下に扱うことも出来ないし。くそっ、どうすればいいんだよ)
 山根は頭を抱え込んだ。
 だが、サラリーマンの哀しい習性か。午後の仕事が始まる頃になると動き出した。お盆を返却口に戻すと、食堂を後にしオフィスに戻り仕事をこなしていった。


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