見出し画像

「沼にハマる」とは正統的周辺参加である -難しいことを楽しく言い換える-

みなさんは沼にハマったことはありますか?
私は今まさに、嵐の沼にハマっています。ご存じのとおり。

沼にハマるという言葉は、特に趣味の世界で何かに熱中する・夢中になる、引き込まれて抜け出せない、という意味で使われることが多いです。

一方で、私は嵐の方々をビジネスパーソンとしても大変素晴らしく優秀な人たちだと思っているので、仕事の時に嵐の方々の立ち居振る舞いを振り返ることも多くあります。
ということで、日々ミーティングの時には「それは嵐で言うと●●みたいな感じですね」という話をすることもあります。(あわよくば沼にハマってほしいという思いを込めて)

沼にハマってもらうために

個人的には、沼にハマるのは最終的には個人の意思次第だと思っているので、無理やり連れていったりはしなくていいと思っています。
でも、ハマる人が増えてくれるのは嬉しいので、以下のポイントを気を付けて情報提供するようにしています。

➀相手に刺さるポイントを強調する
②継続的に角度を変えて言い続ける
③無理やり沼にはめようとしない(情報を提供して待つ)

特に、アイドルに関心がない人に対して、いくらアイドルとしての嵐の素晴らしさを語ったところで残念ながら刺さりません。。

でも、一般的にイメージされる以外にも、嵐の魅力は語れる角度が本当にたくさんあるんです!

たとえば教育関係に関心のある人だったら
「ワクワク学校のオンライン授業と宿題の出し方がスバらしいのよ(だから一緒に見よう!)」
社会貢献意識が高い人なら
「ワクワク学校のチケットを買うと医療従事者の方への寄付になります(だからチケットを買ってください)」
スタートアップ関連で働く人だったら
「予想外のことが起こったときのチームとしての意思決定の仕方がずば抜けてる。実行力がやばい。(だからNetflix見て)」
洋楽に関心があると言えば
「ブルーノ・マーズプロデュースの曲があるよ」と言ってwhen ever you callのyoutube動画を送り、
セルフマネジメントに関心がありますと言うなら
「嵐一人ひとりの物事に対する向き合い方、マジでレジリエンスが高すぎる。例えばこのエピソードが(続きはNetflixで…w)」と伝える。

などなど(全部言ったことある)

いま興味がないことと、自分の興味があることを結び付けるためには「橋渡し」をしてくれる人が必要なんだと思います。

今日のミーティングテーマは
どうやったら主催するイベントに相手を呼び込む魅力的な文章を書けるのか?

議論の中で、「無理やり参加させようとしない」「相手に合わせた文章にする」「相手が求めていることを伝える」などのキーワードが出てきて、ふと思った。
「それは人を沼にはめるときのプロセスと一緒ですね」と。

そして会話を聞いていた代表が言ったのが「なるほど、それは正統的周辺参加だね。」だった。

・・・???

正統的周辺参加ってなに??

アイドルの例え話をしていたはずなのに急に学術的な用語が出てきたけれど、
アイドルが働き方と繋がったように、嵐がまた別の角度のものと繋がる面白い予感を感じたので調べてみると、wikipediaには以下のように書いてありました。

正統的周辺参加(せいとうてきしゅうへんさんか、英語: Legitimate peripheral participation, LPP)は、何らかの実践共同体ないしコラボレーション企画において、新規の参入者が、経験あるメンバーとなり、最終的には古参となる過程を捉えた表現した概念である。LPP は、学習を文脈的社会現象と捉え、共同体実践を通して獲得されるものとする。
LPP によれば、新規参入者は、初めは簡単でリスクの低いものの共同体にとって生産的で、更に先の目的にとって必要となる作業に参加することで、その共同体の一員となる。新参者は、周辺的な活動を通して、求められる作業や言葉遣い、共同体の実践者たちの組織原理に通じていく。

うん、何やら難しく書いてあるけれど、新規とか古参とか、沼にハマるっぽい言葉が並んでいる。

ということで、嵐で解説してみようと思います。

「正統的周辺参加」を嵐の沼にハマるプロセスで置き換える

まず、正統的周辺参加は新規参入者が最終的に「古参」になるプロセス、とあるので、そのまま「沼にハマる」プロセスといってよさそう。
正統的周辺参加は学習のプロセスだけれど、学習を「今まで知らなかったことを知ること」と広く捉えると、ほぼそのまま当てはまると感じました。(人を沼にはめる方法に裏付けがあったとは)

たとえば、以下の文章

LPP (正統的周辺参加)によれば、新規参入者は、初めは簡単でリスクの低いものの共同体にとって生産的で、更に先の目的にとって必要となる作業に参加することで、その共同体の一員となる。

これを嵐に例えると、
youtubeを見る、Netflixを見る、spotifyで曲を聴く、などは比較的簡単で、リスクが低いものにあたると思います。
しかし、youtubeの再生回数も、Netflix、サブスクリプションもなど、嵐にとっては、さらに先の目的を達成するために一つでも多い方がいいもの。
つまり、生産的で、更に先の目的にとって必要になる作業になっているということだと思う。

ただ、youtubeもNetflixも「自分と関係ない」と思っていたら、いくら簡単でリスクが低くても、おそらく自分から見ようとは思わない。

その時に、コミュニティの一番周辺(沼のほとり)から中心に入っていくプロセスにうまく乗るきっかけになるのが、私という既に「嵐のファン」というコミュニティに入っている人間なのだと思う。
いかに実際のコミュニティが楽しくても、相手に関心を持ってもらえない限りは、コミュニティに参加して新参者から古参になっていく学習プロセス(沼にハマる)状況は起こりえない。

逆に、案内人がいれば、次のオススメコンテンツや、自分が興味を持ちそうなコンテンツなども教えてもらえる機会が増える。(広石さん、忙しいなら次のNetflixエピソードは飛ばして、昨日配信されたもの見たほうがいいですよ!とか)
そうすると、学習スピードが速まり、コミュニティのコアに近づくスピードが速まっていく。
ということなのかなと、現状ではふんわりとした理解をしました。


そしてやっぱり「嵐と仕事」が繋がる


もはや、遥か昔のようだけれど、7月に書いたライトファンを沼にはめるときの立ち居振る舞いという言葉は、やっぱり間違ってなかったなと思う。

その時は、自分の中で今までやってきたことと自分の感覚との共通項を探して、似ているなと思ってふんわり言語化したけれど、そのプロセスにまさか名前がついていて、学術的な裏付けがあるらしい。というのに今じわじわ驚いている。
3か月経って、更に学びが深められそうなわくわく感を持てているのが嬉しい。

そんな、新鮮な驚き・わくわくと、自分が今までやっていたことを振り返り、意味づけをしながら、それぞれが「次にでできること」を考えていく講座を年明けから始める予定です。(長い告知)

ありがとうございます。喜びます。