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なぜ私たちは政治に「もやもや」するのか

政界関係者の間で大きな分水嶺になると注目されていた横浜市長選挙の結果が出た。事前の中間世論調査の通り、立憲民主党が推薦する候補の圧勝となった。
首相のお膝元である横浜市での完敗は、支持率が低落傾向にある菅政権にとって痛恨の出来事である。今後、自民党総裁としての求心力にも大きな影響を与えることになるのは間違いない。

先に行われた報道各社による8月の世論調査でも、すでに菅政権の支持率は「危険水域」と言われる支持率30%を複数のメディアで下回る結果となっていた。
努めて客観的に判断して、政権は非常に厳しい状況にある。衆議院の解散あるいは任期満了が目前に迫る中、自公連立与党は来る総選挙で大きく議席を失うのは避けられない情勢である。

がしかし、世論調査の結果に限って言えば、野党第一党の立憲民主党の政党支持率は決して伸びておらず、自公政権に対する批判の受け皿になり得ていないことがわかる。
代わって目を引くのは、「支持政党なし」あるいは「わからない」という回答だ。各社によってバラつきはあるものの、30~50%近い有権者が「支持できる政党がない」と答えているのである。

これは今に始まった傾向ではないが、改めて見ると驚愕すべき数字であると思う。総選挙を前に有権者の半数近くが「投票する先がない」と答えているこの状況は、率直にいって異常な事態である。憲法が定める国民主権の原則に照らしてもまずいのではないかとすら感じるほどだ。

かく言う私自身がそうであるように、恐らく多くの日本人が「もやもや」したものを抱えながら政治に向き合っている。
“あなたの一票”が大切なのはわかっている。しかし、自分にとって唯一と言っていい「政治に直接関われる手段」をすっきりと納得した上で行使できないことが、政治に対する無力感や虚しさを生み出しているのではないだろうか。

一体なぜ、日本の政治はこのような不健全な状況に陥ってしまったのであろうか。

私は、ここに至るまでに以下の4つの要因があったと考えている。

第一に、自身の「政治実感」と政治家が掲げる「政策」の乖離
第二に、「小選挙区制」の導入
第三に、「政治思想」と「経済政策」のねじれ
第四に、限界を迎えつつある「資本主義」がもたらす格差
である。

以下それぞれ説明をしていきたいが、話をわかりやすくするためにあえて第四の理由から逆に説明する。

まずは「資本主義」の制度が限界に達しつつあるという現実である。

貨幣経済の誕生後、他者や社会的共通資本に対する負担を外部化(度外視)しながら拡大してきた資本主義は、あらゆる分野・領域を巻き込みながら、資本家に富を集中させてきた。富がより多くの富を生む資本主義の構造は、現在に至って、世界の上位数名の富豪の資産と貧困にあえぐ数十億人分の資産の合計が同額という水準まで格差を広げることになった。
現在、経済格差、地球環境、社会保障、人口問題など様々な面で資本主義が制度疲労を起こしていることは内外の多くの識者が指摘するところである。

冷戦以前は資本主義と社会主義、西と東、右と左の対立が明確であった。しかし東西冷戦が終結して以降、世界は資本主義に組み込まれ、その後約30年の年月を経て「右と左」のイデオロギーによる対立軸は「上と下」の経済問題へと移行しつつある。

各国間で差はあるもののこの傾向は日本国内においても例外ではなく、近年明らかに国民間の経済的格差は広がりを見せている。
「一億総中流」の社会は完全に過去のものとなり、老後に不安を抱える高齢者や、氷河期世代、困窮する学生、立場の弱い女性、社会的マイノリティなど多くの人々が経済的に追い込まれつつある。
が、日本の政治はそれらの課題に的確に応えられているとは言えない。

経済的な苦境は社会を不安定化させるため、政治はその救済に全力で取り組まねばならない。今、社会に必要とされている政策は所得の再分配を適切に行うことと、公的な支援を拡大することで経済を「底上げ」することである。

しかし現在の政権与党である自民党は、経済政策において市場原理主義、緊縮財政、構造改革路線、自己責任論などのネオリベ(新自由主義的)傾向を強く打ち出しており、対して公的部門の拡大や弱者の救済や社会保障の拡充などを強く訴えているのは野党であるリベラル陣営の方である。

このような政治状況が生まれた理由は何であろうか。

保守思想とは本来の意味においては「過去から現在に至る現象や慣習を尊重し秩序を保とうとする考え方、姿勢」のことである。日本はその国体や歴史から国民の多くは保守的であり、事実、長らく日本の政治で支持されてきたのは保守政党とされた自由民主党であった。

自由民主党は、1955年、保守合同によって日本自由党と日本民主党が合併することで結成された。自由党の中心人物は吉田茂や石橋湛山(湛山の経歴は非常に複雑であるが)、民主党の中心人物は安倍晋三の祖父である岸信介であった。
詳しくは別稿に譲りたいが、前身の二つの政党は保守思想に対する姿勢や歴史認識や経済政策で大きく異なる存在だった。端的に言うと、自由党は「現行憲法の尊重、大戦は国策の誤り、言論の自由の尊重、(戦前のアジア進出のような)拡大主義を排除、国内の国民生活の向上」という現代でいえばリベラルな性格を持っていた。一方で民主党は、岸をはじめとする戦犯被疑者や公職追放から復帰した政治家の意を結集し「憲法改正、大戦の正当化、徹底した反共姿勢、拡大大国路線」を旨としていた。

これらの系譜は現在においても、宏池会(岸田派)や清和政策研究会(細田派)に代表される自民党の派閥として脈々と受け継がれているが、実は旧自由党の系譜(保守本流)からは小渕恵三を最後に首相を輩出できていない。2000年(平成12年)以降はずっと日本民主党の流れ(自民党本流)から自民党総裁が選ばれているのである。
つまり現在において色濃い「憲法改正、市場原理、グローバリズム、反共保守」という自民党の政策イメージは、旧日本民主党の系譜(保守傍流あるいは自民党本流)によるものなのである。

先述したように日本人の多くは保守的な考えを持つ。しかし経済政策は、政治思想とは(無関係ではないが)ベクトルの異なる命題である。
かつての自民党は右から左までバランスのとれた懐の深い政党と評された。しかし政権与党の経済政策が新自由主義的な方向に誘引され、一方で資本主義社会の荒波に振り落とされる人々が現れる中で、保守的な考えを持ちながら経済的には厳しさを感じているという少なくない有権者の中に、「自分たちにとって必要な経済政策を掲げている政党が軒並み思想的には合致しない」、あるいは逆に「思想的に支持できる政党が押し並べて自分たちを切り捨てようとしている(切り捨ててきた)」と感じさせる、相反する状況が生まれているのである。

そして、この状況をさらに固定化して来たのが小選挙区制度である。
小選挙区制(および比例代表並立制)は、1994年に55年体制以降初めて自民党が下野した政治の大混乱期に導入された。(小選挙区の弊害についてはこれも長くなるので別の機会に改めたい)

小選挙区では当選者は一人のため、通常各政党からは一人の候補者しか立候補しない。よって有権者に二者択一に近い選択を迫ることになる。
しかし当然のことながら政治は白か黒かに分けられるほど単純なものではなく、先述した経済政策はもちろんのこと、これまで国論を二分してきた集団的自衛権、外交安保、TPP、移民政策、カジノ、改憲、皇位継承など政治的課題は多岐にわたり、多様かつ複雑である。これらの政策ごとの賛否が個人によって異なるケースは当然あるが、小選挙区制度では有権者の多様な選択肢を許容することができない。

かつての中選挙区時代は、同じ政党の候補者であっても支持基盤が異なるなど、各論で激しい議論の対立があった。政策が選挙の当落に直結するので各候補者は必死で勉強し、議論を戦わせ、政策に精通した議員を生む土壌ともなっていた。
しかし小選挙区の下では、選挙結果は候補者個人の資質よりももっぱら「風」に影響される。また候補者は「公認権」「政党交付金」「団体支持」を党本部に握られているため、党の方針や政策に反対意見を言いにくい。
この構図は野党においても概ね同じであるため、(衆議院)選挙において政策論争が深まらない大きな要因となって来た。結果、候補者は党がまとめた政策を抽象的、表層的にしか主張できず歯切れが悪くなる状況が生まれている。
自民党が新自由主義に傾倒するようになったのは、「自民党本流(旧民主党系派閥)」が党を掌握したタイミングで小選挙区制が導入され、それによって党内の政策論争が失われてしまったことに依るところが大きい。

しかし近年、行き過ぎた資本主義に対する反発や、反共保守と本来の保守主義との姿勢の乖離から、政治に新たなムーブメントが勃興しつつある。「緊縮財政」や「構造改革路線」や「グローバリズム」や「市場原理主義」や「自己責任論」や「成長拡大主義」や「格差の助長」や「社会の分断」に反対する動きである。
すでに言論界やネット論壇、国際社会の一部ではこれらの運動は大きな潮流となりつつある。しかし日本の「政治のステージ」において、これらの主張を展開しているのはほぼ完全にリベラル・左翼政党であり、反自由主義を前面に掲げて行動している“保守”政党は存在しない。

「存在しないならつくろう」

というわけで、私はその受け皿となる政治団体を立ち上げることにした。

名称は「日本のための新たな道しるべ」という。

道しるSNSアイコン

以下に「新たな道しるべ」の政治的スタンスをわかりやすくするために「政治思想と経済政策からみた既存政党の分布図」を作成した。もちろん細かいことを言えば縦横二軸ですべてを解説できるわけではないが、「道しるべ」が目指す領域はほぼこの図の通りである。

政治思想と政党分布note210817_5

これを見ていただければわかるように、現在の自民、公明、維新がつながっているのは縦軸の上部の領域で政策が合致するからである。
しかし、現在の日本社会に求められている政治勢力は間違いなく右下の領域である。
例えて言うなら「右のれいわ新選組」である。
かつてはここに近いポジションに「民社党」という勢力が存在した。
あるいは反共と反ネオリベに対するスタンスでブレ続ける「国民民主党」がここに収まることもできたはずである。
なにより、本来であれば自民党派閥である「宏池会」が、自民党の「保守本流」としてこの領域を死守すべきであった。

くり返し言うが、現代における最も重要な政治の対立軸は「左右」ではなく「上下」である。

「日本のための新たな道しるべ」は「保守正統」を標榜し、以下の「7つの道しるべ」を政策的支柱として、日本に新しい政治の流れを生み出していく。

第一に 「万民救済富国前進」
第二に 「新自由主義の否定」
第三に 「財政効果の最大化」
第四に 「堅牢な公共の構築」
第五に 「分産型国家の創造」
第六に 「未来技術との共栄」
第七に 「社会的公理の追求」

である。
各詳細については、こちらの別のエントリに上梓させていただいた。

是非、本エントリとあわせてご覧いただき、ご賛同、ご批判に関わらず、忌憚なきご意見をお寄せいただければ幸甚に存じます。

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