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報ステ騒動のざわめきが、いまいち腑に落ちなかった私のような人へ。

大前提として私はこういうコラム的な文章を書かない。もっと、とっかかりのない、掴みづらい何かを書こうとする中で、自分が言いたいことがうっすら現れるくらいの、そういう瞬間が好きだ。時にそれは社会における差別についてだったり、孤独についてだったりする。

この報ステの騒動についても書くかとても迷った。別に著名なエッセイストでもないのに、一丁前に迷った(ただダサい)。ただ、曲がりなりにもジェンダー学とクィア文化をそれなりの熱量をもって学んだ身として、世に出ている表面的で一方的な批判記事にあまり共感できなかった事が、とても腑に落ちなかった。そしておそらくそのように感じている人はきっと多くいるはずだと思い以下を書き残す。

だからちょっと書いてみよう。インターネットという大海を前に、気軽な、でも決意のある心象で。

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まず私のこのCMに対してのスタンスは否定的である。だがしかし、発言や内容が悪かったとは思わない。むしろ内容は良いとすら思う。では何故ここまで許容されなかったのか、そして内容に対して異論のない私のような人間も、ザワザワとさせられる「これ」はなんだろうと考えてしまう。

報ステのCMの中で語られる時事的な内容に関しては一旦置いて起き、演出的なところにフォーカスを置くところから考えてみる。

カメラは終始動かない。「若い女性」が一人称的に話しかけてくるような演出。だからきっと、「この人」は「私」に話しかけているんだろうし、きっと会話をしているのだろうと思う。

ただ「この人」と「私」の関係性がとことんわからない。ある程度しっかりとした格好をしていてきっと会社帰りのこの人は、仕事終わりの午後10時前にしてはやたらと溌剌としていて、現実味がない。話している内容(会社での出来事、最近の買い物)や部屋の感じ(ダイニングルームらしいところ)。付き合っていて半同棲的な感じなのかもしれないし、仲のいい女友達かもしれない。もしかしたら親族なのかもしれないし。「男と女」の会話に見えるだけどもしかしたら、女性同士の会話かもしれない。

いずれにせよ「この人」が「私」にとっての「誰」なのかがわからない。だからもっというと「私」が誰だかもわからない。なので、ぶっちゃけ「この人」が話している時事問題に対してもスタンスが取りづらい。男子校の中学生が絵に描いたような「女性らしい」話し方とか身なり、態度ばかりに目がいってしまう。

ただ何かしらの「近しい」人間と話している感覚はおぼろげながら、ある。だからこそ、最後の「こいつ、報ステ見てるな」の「こいつ」がめちゃめちゃ「ゾワっ」とする。流れとしては「こいつ」と呼称するのはきっと話し相手である「私」であるはずだが、曖昧に確立されていた「近しさ」とこの「こいつ」という冷徹な表現は矛盾し成立しえないはずだ。(もし仮に、制作や視聴者にとって、この二つの同居が成立しているとしたら、それは本当に救いようがないくらい問題が根深い)。

だから、「この人」と「私」ではない第三者の存在があって、その第三者は男性的な言葉である「こいつ」という表現でもってして、とても広義的な「女性を下に見る男性」として突如表出する。そして、「あぁ、始めからずっと、男性的な視点で『若い女性』を表現しようとしてたんですね。」と合点がいってしまう。

矢継ぎ早に訪れるのは、この「若い女性」と「それを一方的に評価する男性」という非常に高慢で貧相な対立構造が根強いこの社会に、今私たちが生きていることの肩の荷の重さである。

どっと疲れる。

だから根本的にこの対立構造に疲労していない可能性が高い「異性愛者の男性」というのは、この報ステのCMにおいて形容し難い、「どっと」襲ってくる徒労感に鈍い。それは「女性を蔑視している」からではない。その構造に苦しむことを経験していないから。工場で1日ライン労働をした事がない工場長や消費者は、あの独特の時間の流れと社会における孤独感が、筋肉痛のように身体に入り込んでくる感じは、分からない。それを「特権」と呼ぶ。

こうなるとたちが悪い。「若い女性」というバカひろいペルソナを表現しようと、ありきたりでつまらない「男と女」の関係性の中で、会話を展開させ、変にキャッキャした感じで「化粧水」の話をさせたり、「赤ちゃんが可愛いと思う」といった発言をさせる。その貧相な想像力でもって、誰にも共感されない「なにか」というもはや化物を作ってしまう。そして「こいつ」という発言が、この化物の産みの親でもある「制作者」を匂わせ、その貧相な想像力からきっと「男性陣」によって作られた「お人形さん」が話している動画に見える。だから「女優さんに謝れ」という批評が出るのも理解できる。操り人形のような印象を受けるから。

本当に見飽きた。制作のあなたたちにとって、社会のこの対立構造は面白い観察対象なのかもしれないが、視聴者の私たちにとっては「変えたい社会と徒労する日々そのもの」であって、あなた達のその、消極的で搾取的な態度は、私たちをどっと、疲れさせる。

私たちの心を
ざわつかせる。

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これほどに演出のベースが偏ってしまうと、根っこが腐ってしまっているので、救いようがない。ただ、できるだけ切り離そうと努力する。よくよく耳を傾けてみると、発言自体は波紋を呼ぶほどおかしくないと思ってしまう。

「会社の先輩、産休あけて赤ちゃん連れてきてたんだけど、もうすっごいかわいくって。どっかの政治家が『ジェンダー平等』とかっていま、スローガン的に掲げてる時点で、何それ、時代遅れって感じ。」

この発言が波紋を読んでいるらしい。だけど、実は私にはわからなかった。産休明け赤ちゃんを、どのような理由であれ、オフィスに連れて「来ることができる」ようなオープンな職場で働いている女性が、「政治家がスローガン的にジェンダー平等とか言ってるのダサいよな。」と政治家の「状態に納得してアクション起こしてないじゃん」とも取れる指摘は、別に「ジェンダー問題時代遅れだよね」には聞こえないし、むしろ積極的な態度にもとれる。

「ねー、政治家って何してるんだろうねぇ。とはいえ政策提言とかも大事なんだろうけど、勉強不足で正直分からないかも。」と言いたくなる。別にあんなにずっと頑張って笑顔で、キャッキャしてなくていいと思うけど。22時近い時間で家らしき場所で、きっと気の知れた仲で話してるんだから。

この前、吉祥寺を歩いていて「人多すぎるだろ、この国。もっと減らせばいいのに。あ、でも税収少ないと困るのか。困るのか?」と、ふとタピオカを吸いながら、物思いに耽った私みたいな人は「消費税が上がったのに、借金減ってなくね。」という発言は「確かにー」と思ってしまった。

世論的には「おバカ」発言らしいが、ぶっちゃけ私にこの国の借金が減らない理由はわからない。私は増税の理由知らないし、借金の話も知らなかった。もはや話すべき大切な話だとすら思ってしまった。「おバカ」らしい話し方をしているのは間違いなく不必要だけど、発言自体はおバカ発言ではないんじゃないか。

というか今書きながら思ったが、「消費税上がった?」と変化に気づかせるためのきっかけ作りとして、台本の中に「一定期間買い替えのタイミングがこない日曜雑貨の購買シーンを作らないといけなく」て「高い化粧水買ったんだー」の発言を汲み込んだのも、まぁ分からなくない。

でも別にそれならコンビニ弁当でもいい気はするし、コンタクトとかメガネでもいいかもだけどね、タバコとかも面白いかもしれないね。

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このご時世である。色々と書かれているが、制作だってご隠居されてるわけではなかろうし、サイコパスチームが、特定の人たちを攻撃するために世に出したということは考え難い。そんなに肝が座っている人が日本企業で生きていける気がしない。意図したのは真逆の反応で「バズる」ことで、それが読みと大きく外れた、そうだったはずだと思いたい。

だけどもそれにしても難しい。こんなベラベラ書いたけど、自分自身が制作側の立場で、台本の締め切りやキャスティングに追われ、絵コンテを作って承認とって…なんてしている中で、この「スベり感」に未然に気づけたり、ここまで意図が汲み取られず炎上するなんてたぶん気づけないかもしれない。

チームに若い女性を入れるべきだという話はわかるが、私にはそれが果たして積極的な最適解なのかが、いまいちわからない。入ったところでその人に発言権や決定権を渡す素地がなければ意味がないし、渡したところで、世に出して何かしらのトリガーを引いてしまう可能性は絶対にゼロにならない。

だとしたら。何かがあったときに
できるだけ最高速度で謝罪とともに撤回をし、
「私たちはそれでも、万全の体制で臨みました」
とできるだけ早口でいえるように予防線を引き。
あとは嵐が止むのを静かに待つだけという消極的なリスク管理
しかできないとしたら。

果たしてどう、社会に投げ掛ければ良いのか。
とうとうわからない。
果たしてどう、社会と呼応していけばいいのか。
とうとうわからない。
果たして誰が、社会を作っていくのかが。
とうとうわからない。

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