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7月28日の日記「何を選んでも、何も選ばなくても」


 今日、いうか今週は鬼のように忙しく、世間一般でいうところの鬼忙(きぼう)状態になってしまった。仕事が忙しいと、貴重なプライベートの時間を日記なんかに割いてたまるかい、という気持ちも勿論あるが(勿論あるなよ)、そもそも書くことが発生しないから困るんですよね。……正直、別に仕事が早く上がったとて、家に帰ってYouTube見る時間がちょっと長くなるだけなんで、書くことなさの度合いは大して変わらん気もするが。


 今日あった特筆すべきことといえば、アレですね。「コンビニでの昼飯のチョイス、めっっっっっちゃ迷った」ってことぐらいですね。エピソードのあまりの薄さに、自分でも渇いた笑いが出てしまった。エピソード白湯味じゃん。いや、こんなスッカスカの話でどれだけ尺を稼げるのか、日頃中身のない話ばかりしている自分の、「雑談力」が試されるときではないか。雑談力ってたった今考えた言葉だけど、新書のタイトルとかでめっちゃありそう。やだな~。

 そこそこの頻度で、コンビニで何食べたいかわからなくて右往左往することはある。でも今日は、その右往左往度合いがずば抜けていたな。フルーツサンド→お好み焼き→ドリア→サラダ&おにぎり……と、10分以上商品棚うろちょろして、最終的にナポリタンを買った。そして、外した。一口食べた瞬間に、「これじゃあ、なかった……」と天を仰ぐ。さんざん迷った挙句に間違えるなんて、俺の人生か? ……さんざん迷った挙句に間違えるなんて、俺の人生なんですか?

 

 前も話したかもだけど、自分が食べたいものがわからなくなるのは、何らかの感覚の衰えだと思うんですよね。関連して、自分が食べたいものを食べるのではなく、食べるものに自分のモチベーションをチューニングさせる、ってこともできなくなってる。それに加えて今日は、睡眠不足と蒸し暑さでそもそもの食欲がなく。しかし、そんな状況であったとしても、正解はあった。それは、何も食べないこと。何も選ばないこと。「答えは沈黙」ってやつですな。食欲がちゃんと湧いたときに、改めて飯を選べばいいのだ。……が、会社で昼休みをズラすのは難しいので(うちの会社はそこらへん融通利くし、できんことはない。ただ己の「勇気」が足りないだけ)、午後頑張るためにはとりあえず腹に入れておかないとだ。社会人生活で1番しんどいの、12〜13時にご飯食べなきゃいけないことだな。大学時分は、13時に起きてることなんて滅多になかったから。朝食はもちろん、昼食の時間になっても体が食べるモードになってない。……冷静に考えてみると、これって社会人以前の問題では。人間の生活に適応できてないじゃん。……そう考えると、今日の昼とりあえずナポリタンを食べたのも、人としては一応の正解だったかもしれん。何を選んでも正解だし、何も選ばなくても正解だ。こういう問いだけで、人生が構成されているとありがたいんですが……。


 夕飯も何食っていいか分からなかったので、すき家で牛丼と豚汁を食べた。僕がすき家で牛丼と豚汁を食べるのは、思考が停止している証拠だ。ぼーっとしてたから、もともと卵が入っていた皿に卵割り入れてしまった。ふえ〜せ〜。

 わざわざ二枚用意された卵の皿を見て、以前読んだこの記事を思い出した。「日本の飲食店は、盗電にあたると客に充電をさせない店でも、お皿を過剰に提供するといったサービスは行う。コストで考えると、後者の方が大きいのではないか?」と、中国の経営者は言う。中国では電子マネーでの支払いが大半だから、客に充電させないことはむしろ、店側の面倒やリスクに繋がるらしい。海外age日本sageはあまり好きではないけれど(断っておくと、日本age海外sageも好きじゃない。何かを上げるために何かを下げるやり方自体が好きではないのだ)、素直な客側の意見として、充電できて無料Wi-Fiも使えるような場所だったら多少値段が張ってても行っちゃうもんな。喫茶店とか、まさにそうだ。



 すき家の豚汁、全然冷めながち



 ……最後に、すき家あるあるを思いついたので、それを発表して終わろうと思いました。俺はかなりあるあるだと思うんだけど、皆さんはどう思いますか?



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