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加賀百万石の茶栽培

打越のお茶についての前に、加賀のお茶のお話しをしていきます。

加賀地方のお茶の歴史は江戸時代に遡ります。
前田家がこの地を納め始めてから、お茶(茶道)の文化が発展しました。
二代目藩主前田利常が宇治から茶の種を取り寄せて茶の栽培を始めたと言われています。おそらくは裏千家四代千仙叟宗室を迎え入れたことと繋がりがあるのでしょう。

加賀藩は外様大名ながら加賀百万石と言われる大大名家でした。徳川家からは常に監視されており、謀反を疑われないためにさまざまな苦労を強いられました。その中のひとつが工芸や芸能に財力を注ぎ込むというパフォーマンス。
茶の湯も大きな位置を占めていました。
怪我の功名でもありませんが、それは武士から庶民まで大きく広まり加賀藩の独特の文化形成がされたのです。

藩の支援で茶の栽培も盛んになりました。それは打越町のある南加賀で発展を見せました。
明治の時代になるとアメリカに輸出するという一大産地になったと言います。
明治期の栽培面積は約60ヘクタール。今は3ヘクタールなので20倍の茶畑が広がっていたんですね。

戦後の食糧難の時代、多くの茶畑が水田に変わりました。南加賀の茶も風前の灯となったのです。

文化を絶やしてはいけないと立ち上がったのが打越製茶組合でした。

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