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映画『BLUE GIANT』を観て、2年分泣いた

映画『BLUE GIANT』を観て、2年前に実家で飼っていた犬が死んでしまった時以来の大量の涙を流した。
ひとつのピークシーンでグッとくるという感じではなく、ほとんど序盤から、数分おきに泣かせられた。ハンカチで拭く間も目を逸らしていたくなくて流れるままにしておいたら、映画が終わった後には肌がすごく乾燥していた。
内容が良かったのはもちろんそうなのだが、大好きな漫画の「音が聞けた」喜びもとても大きかったように思う。

漫画『BLUE GIANT』はジャケ買いから入った。ある時、本屋で見かけたスタイリッシュな表紙の絵と紙の質感に、「これなら中身失敗したとしても、モノとしてカッコいいな」と打算を働かせて購入した記憶がある。そして今では、日本編(1-10巻)、ヨーロッパ編(Supreme1-10巻)、アメリカ大陸編(Explorler1-8巻)と最新刊まで追っているファンになった。ジャズも大好きになって、丸の内の『COTTON CLUB』に聞きに行くほどになった。

漫画『BLUE GIANT』はよく、「漫画なのに音が聞こえる」といった風に評される。言い得て妙で、絵の躍動感からサックスの音が聞こえるようでいて、しかもその音によって心動かされるシーンが多い。だから初めこそは、知らないジャズの曲をその場で聞きながら臨場感を高めていた。
徐々に脳内で「こんな感じかな」と曲の想像を膨らませるようになっていくのだが、そうやって想像したものが、実際に音として、しかも映画館という場所で現実になるので、それはやはり心躍る体験だった。

テンポが決められている、表現が荒くなる、想像とのギャップが生じる、とかの理由で、僕はアニメよりも漫画派だ。だけど大好きな作品の映像化は、たまらねえな、と感じた。そういえば、ハリーポッターの時も似たような感じだった。
今回でいうと、演奏は本物ど真ん中のプロがしているし、映像は疾走感溢れる表現が多用されているし、音響は四方八方に設定されているし、で、漫画でも、なんならジャズバーでもできない体験ができた。そして最後は、原作と異なる粋な展開まで用意されていた。アニメとしても素晴らしかったのだ。

内容については、漫画でいう1-10巻の東京編の物語となる。東京編の前半部分である高校時代の話も結構好きなのだが、そこは回想という形で出てくる。初めて見る人でも、ジャズとか知らなくても入りやすい。
大(主人公)、玉田、雪祈の葛藤と成長もそのまま描かれていて、熱く、衝撃を受けること間違いなしである。

「熱さ」でいうと、大のそれは他の根性漫画と少し違う。チェンソーマンのデンジにも似ている気がする。
デンジも大も、リアルなのだ。底抜けに前向きではない。重要人物と血縁関係があるわけでもない。普通に、市井の人としてただ直向きに積み重ねてきたやつ。その真っ直ぐな度合いは異様ではあるけど、でも周囲にいなかったわけではない人種であり、あるいは自分にそういう部分がないわけでもない。

そういう意味では、僕は周りのそういう直向きさを知っているのだろうか、とも思う。
例えば、大の演奏を聞けば必死にシリアスに練習してきたことは伝わる。だけど、どれだけの人が実際にその現場を知っていたのだろうか。近くにいるどれだけの人がその努力に気付いていたのだろうか。
玉田や雪祈がそうであったように、そこに気が付くだけで人生は変わっていく可能性がある。
誰かの直線的な思いや行動は、周囲の想いや行動も変えていく。

見ようと思わなければ見えないものは、表面だけを見ると冷たく見える。努力する者は、他の誰かが壁にぶち当たっても、「それはそいつの問題だ」とする。
その発言の裏は、努力を見なければわからない。わからないまま卑屈に捉えて「強者の主張」と取ってしまえば、差は広がるばかり。


他人の直向きさを知り、自分の直向きさを出せる人間でありたい。

価値観を押し付けるようだけど、敢えていうと「この映画は、絶対に映画館で観た方がいい」です。

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