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BLUE GIANTのB面として楽しむ(映画 『ピアノマン』を読んで)

これは沢辺雪祈の物語。漫画『BLUE GIANT』では語られない物語であり、あるいは漫画とは異なる物語の見方ができる小説。


著者の南波永人は漫画原作者の一人であり、映画『BLUE GIANT』の脚本家でもある。だから、終盤の展開は漫画ではなく映画版によっている。僕はこちらの方が好きだ。ちなみにこの人の『風の槍』(戦国自体、本多平八郎忠勝の話)と『ABURA』(幕末、御陵衛士の話)という漫画も最高だ。


始まりは沢辺の幼少期から、丁寧に、20年間が綴られる。
大や玉田と出会い人生の速度が加速し、平と出会いさらに加速していく様子が伝わってくる。

漫画や映画では登場人物の感情を推測していたところを、文字になって顕されるのが、小説の良さである。

ぼくの中で特に強く印象に残っているシーンがある。
沢辺が、ソロで自分を出し切れないという課題に向き合い苦しみ抜いた結果、大と玉田に全てをさらけ出して告白するシーンだ。

「これが本当の俺だ。入れよ」
そして、全てを話した。
ソーブルーへの想い。(中略)ずっとインプロができないことに苦しんでいた自分。それを誤魔化し続けた俺。テイクツーで丸二日弾き続けても、なんのヒントも得られなかったこと。
(中略)
「行くべ、玉田」
「話はわかった。俺たちにできることはないべ」
(中略)
誰もいなくなった部屋で、反芻する。
玉田の直接的な優しさを。
大の厳しい優しさを。
茫然と窓の外を見ると、小さな月が見えた。

ピアノマン

この場面が文字にされることで、また文字だけで見ることで、
大の厳しさや沢辺がそれを理解していること、理解した上で、ずっと夢と才能とプライドの狭間でもがきつづけていたことが、心が痛くなるほどに入ってきた。

「真っ直ぐさ」
それと向き合うことの恐怖。
そうあり続ける難しさと希少さ。
それが周囲に大きな影響を与えること。

漫画→映画→小説と経て、ぼくとしてはこのキーワードが深く突き刺さった。



これを読んだから新しい発見がある!というよりも、漫画のB面として、立ち止まってゆっくり咀嚼したり、改めてこの物語から気付きを得たい人向けの本だと思う。

ここからもう一度、漫画や映画に戻ったら、今度はどんな発見があるのか、またどれくらい涙を流してしまうのか、楽しみだ。




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