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イン・ザ・ニューワールド 第4話(「Bassとは何なのか?」についての考察)

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 変わらずSTAY HOMEは続いていた。
 それは一人きりでのREC。8トラックしかないMTRレコーディングが続いているということでもあった。
 
  

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 僕の作品において、「ドラムが打ち込みである」というのはとても大きなことだったのだと、あらためて最近は思う。

 楽曲の核となるリズム・セクション。
 そのリズム・セクションを構成する2つの要素。
 ドラムは機械。そしてベースは自分で弾く。
 その構図は僕の思考をシンプルにしてくれている。

 機械であるドラムのリズムが狂うということはない。


 僕のバンドのドラマーである彼はあらかじめプログラムされた通りにリズムを刻み、ミスというものは皆無で、その代わりに気の利いたアイデアを提供してくれるということもなかった。
 

 ということはグルーヴやウネり、疾走感や落ち着いた印象の演出などはベースにほぼ一任されることになる。

 だからこそ「ベースが変わると楽曲全体がどう変わるか?」という事を日々実感できているのは僕にとってとてもプラスになっている。

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 この状況だ。

 「べースを他の誰かに弾いてもらう」という選択肢が消えてしまっていた。(あくまで今の僕の設備では、ということ)

 誰も見ていないがいつの間にか僕はベーシストになったらしい。(ギタリスト・ボーカリスト・ドラム・パターンの打ち込みを兼任)

 
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 本来あまりよろしくはないのであろうが僕がRECをするとき、ボーカルを除いてベースを録音するのはいつもいちばん最後だった。

 あらかじめプログラムされたドラムパターンをMTRに吹き込み、エレクトリック・ギターを録音する。その後で、ようやくベースを録音する。

 理由は1つだけだった。
 ベースの太い弦に触れたあとで、ギターの細い弦に触れたくはなかったからだ。

 
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 ベースの有る無しで、楽曲の響き方はまるで違っていた。

 それまでは無機質に響いていた楽曲に、突然血が通い出したかのように1つの生き物として動き出す瞬間がたまらなく好きなのだ。

 ベースを最後に録音するからなおさらなのだろう。

 
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 ある意味で運命的な出会いとも言えた。
 
 岡山から埼玉へ引っ越したばかりの僕は最小限の機材しか持ってきておらず、ベースは手元になかった。

 そしてすぐにこのSTAY HOMEが始まった。

 ここ1、2年ご贔屓にしているBacchusの、エントリーモデルのベースが通販で、しかもさらに格安で売られているのを見つけたのだ。しかも新品だ。

 3万4千円ほどのベースが1万4千円になっていた。

 たくさんの感謝を込めて僕はそのベースを購入した。

 岡山にいた頃僕はハー○オフで4000円で買ってきたベースを使っていたから、手元に届いたBacchusのベースはとても弾きやすくて音も良かった。

 もちろん上を見ればキリがないのだろうが。

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 僕にとってBassという楽器は楽曲における「支配者」なのかもしれなかった。

 楽曲の性質を決めるリズム・パターンがあり(それはわがバンドのドラマーであるリズム・マシンによって鳴らされていた)、それに対してベースはどうアプローチするのかを探求することに今僕は楽しみを見出している。

 

 例えばミディアムテンポの曲であればベースラインを動かすことで、「感情の揺さぶり」を表現することができるようだ。逆に、ただひたすらバス・ドラムに対して音を合わせれば「淡々とした」感情を表現することが出来た。

 リズム・マシンによって鳴らされるどっしりとした16ビートのパターンに対して、できるだけ前の方に音符を詰め込んで楽曲にスピード感を入れていくのに最近はハマっている。

 そして楽曲の支配者たるベースが発する「休符」というのは「緊張感」をもたらしていた。
 
 その休符の中には空間が生まれていた。

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 この部屋に届けられたBassという楽器は日々楽曲たちに感情を吹き込み、音像を立体化していきつつあった。

 ベースのアプローチによって楽曲は表情を変えていた。

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 楽曲世界における「支配者」。
 それがBassの正体だろう。

https://youtu.be/Tlh31uyjCmc

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