いのっているのです

    まず一編の詩を紹介します。青春を第二次世界大戦の戦火の下で送るほかなかった詩人が、戦時中の「蛆虫(うじむし)の共感」に反発した意味を、よく汲みながら読んでください。

準備する                        茨木のり子

〈むかしひとびとの間には/あたたかい共感が流れていたものだ〉/少し年老いてこころないひとたちが語る 

たしかに地下壕のなかで/見知らぬひとたちとにがいパンを/分けあったし/べたべたと/誰とでも手をとって/猛火の下を逃げまわった

弱者の共感/蛆虫の共感/殺戮につながった共感/断じてなつかしみはしないだろう/わたしたちは

さびしい季節/みのらぬ季節/たえだえの時代が/わたしたちの時代なら/私は親愛のキスをする    その額に/不毛こそは豊穣のための〈なにか〉/はげしく試される〈なにか〉なのだ 

野分のあとを繕うように/果樹のまわりをまわるように/畑を深く掘りおこすように/わたしたちは準備する/遠い道草    永い停滞に耐え/忘れられたひと/忘れられた書物/忘れられたくるしみたちをも招き/たくさんのことを黙々と

わたしたちのみんなが去ってしまった後に/醒めて美しい人間と人間との共感が/匂いたかく花ひらいたとしても/わたしたちの皮膚はもうそれを/感じることはできないのだとしても

あるいはついにそんなものは/誕生することがないのだとしても/わたしたちは準備することを/やめないだろう/ほんとうの    死と/生と/共感のために

                                                                      詩集『対話』(1955年)より

    美しい時代だ。私は心の底からおののき、打ち震えているのだ、いまという時代に。これほど調和と均衡を重視し、「らしさ」という典型を尊重し、異質なもの、いびつなもの、気持ちの悪いもの、とがったもの、いけないものを嫌い、のけものにし、世の中全てが一つの方向や目的を目指して一直線に進みゆく時代を、私は知らない。はみ出すものは容赦なく叩き潰す、暗黙の了解、美しい共感。「みんないっしょだよ。」「一つになって!」子どもたちの幼い叫び声がこだまする。かつてない世界史的事件、イベント、祝祭を前に、この上なく興奮し、金切り声を発している。血のにおいを察知しているのだ。

    私はもはやそこにはいられない。きっとこの一文も、彼らには他者であり、異物だからだ。一つにならないからだ。だから彼らは私にこう言う。「自分だけ頭良いと思って、僕たちを馬鹿にしてるの?」「意識高い系?」「怖い」「キモい」「ウザい」「分からない」「難しい」………ありがとう。だからこそ私は「他者」として思う存分準備できる、はげしく試される〈なにか〉を。ありがとう、本当に美しい時代だ。 ーーー私は何も馬鹿にしてはいないのです。ただ怖いのです、君の静脈が透き通った、この美しすぎる時代が!

    だから、私は〈対話〉したいのです。透き通った血を何とか流さずに済むような、この上なく不穏で静謐な対話を。私はただ祈っているのです。(2018.3.5.執筆)

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