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買い物依存症

私が小学1年生になる時、母は私に財布を買ってくれた。マジックテープでペリペリと開閉する、首提げの折り財布。
自分のお金を自分の財布に入れて持ち歩く。なんて素敵なんだろう。
心を躍らせながらピカピカの財布を受け取った。

けれど、財布はいつになっても真新しいままだった。
財布に入るはずのお小遣いを、母はくれなかった。

2年生になって、母におつかいを頼まれるようになった。
おつかいは面倒だったけれど、財布の中のたった1つの100円玉を見ると、なんだか大人になった気がして嬉しかった。
おつかいを頼まれる度、母はそのお釣りを私のお小遣いにしてくれた。一度のお使いで2円、5円、時々10円。
少しずつ財布の中にお金が溜まった。けれどお店に並ぶもの達はどれも、私のなけなしの所持金では買えなかった。

そもそも、私はものを買うことを許されていなかった。

ある日私は、200円を持たされて106円の乾燥パセリを買ってくるよう頼まれた。お釣りは94円。
無事買い物を済ませた帰りに立ち寄った店で、私は美味しそうなラムネを見つけた。プラスチックのボトルに入った、ときどき顔つきのラムネが出てくるあれだ。
そのラムネは83円だった。

どうしても我慢ができなかった私は、お釣りとして持っていた94円で、そのラムネを買った。

初めて、自分が欲しいものを自分で買った瞬間だった。

買うものを決めずにお店を回る楽しさと欲しいものを手に入れられた快感に、私の気分は高揚していた。
乾燥パセリのレシートを捨て、ラムネを服の中に隠し、「今日はパセリが高かったの」と言ってニコニコしながら母に11円を返した。
いつもならお釣りは私のお小遣いになるはずだったが、何を察したのか母は「そうなのね」とだけ言ってその11円を自分の財布に戻した。

3日後、私は母のいない隙にこっそりラムネを眺めた。
母に嘘をついてまで食べたかったラムネのはずなのに、フィルムを剥がせなかった。
母のお金を勝手に使ってしまったことが、ラムネを買うためについた嘘が、大きな黒い塊となって幼い私を押し潰していた。

結局そのラムネは友達にあげた。
ラムネを持っているといつまでも罪悪感に苛まれて心が苦しい気がして、「ぜったいだれにもいわないで!」と言って渡した。
次の日学校でその子が おいしかったよ、と教えてくれた。

それ以降、小学生の間は自分で何も買わなかった。
 
かつてもらったピカピカの財布は、おつかいのお供として6年間働き、黒ずんでひしゃげていた。

中学生になると、月1000円程のお小遣いを貰えるようになった。
ボーナスもあった。
学年1位の成績を取れば3000円、2位なら2000円、3位は1000円。3段階評価の通知表がオール3なら500円。

お金のためなら、勉強もそこそこ頑張れた。
こうしてついに、頑張って得たお小遣いでの買い物が許されるようになった。
母を怒らせたり成績が落ちたりするとお小遣いを止められることもあったし、財布からお金が抜かれていたこともあった。
買ったものとレシートを毎回母に見せるのが決まりだった。
財布を隠して死守し、母に文句を言われないよう無難なお菓子や文房具を買っていた。

お金に対する執着は増える一方だった。


母が私にしていたのは金銭面での抑圧だった。

小・中学生は自分でお金を稼ぐことが出来ない。
お金は身近な大人や親から貰うことでしか得られない特別なもので、裏を返せば親が子を支配する上でうってつけの道具だったのだ。

そして、自由にお金に触れることが出来なかった人間がいきなりその抑圧から解かれると、暴走する。

中学3年生になった私は、災害に備えて準備してある避難用リュックの中から見たことの無い小さな財布を見つけた。中には1万円札がぎっしり詰まっていた。

もう罪悪感はなかった。歯止めが利かなかった。

30万入っていたその財布は半年で空っぽになった。


私は18歳になった今もお金を上手く使うことが出来ない。欲しいものを買うのではなくて、買うものが欲しい。
買うだけで満足し、部屋には開封してもいない物がどんどん溜まっていく。

買い物依存症は恐ろしい。
大人になって家を出て、いざ一人暮らしを始めた時私はやっていけるのだろうか。
家賃に水に電気にガス。
それらを払うだけのお金さえ残せず、浪費してしまうのでは無いか。

不安で仕方がない。
学歴、鬱、容姿、不眠、お金

未来に、希望が見えない。

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