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勝手に思う〝ゴジラ〟らしさ

個人的には本家を超えた〝シン・ゴジラ〟

ゴジラっちゅう存在は、人間がどうにもできへん物事の象徴やと、わしはずっと思うとるんや。そやから、ゴジラが人間の通常兵器で簡単に倒されてまうようなことがあったら、それはもうゴジラやないと判断してまうねん。例えば、1998年のエメリッヒ版ハリウッドゴジラがF18ミサイルで簡単に倒されるシーンを見た時、「これはゴジラやないな」とガッカリしたんや。

元祖のゴジラと〝オキシジェン・デストロイヤー〟の関係が、ゴジラ設定の基礎部分やと思うんや。オキシジェン・デストロイヤーっちゅうもんは、ゴジラを倒すために開発されたけど、それ自体がゴジラよりもさらに大きな驚異になる可能性があるんや。この設定こそが、ゴジラっちゅう存在の奥深さを表してるんやと思う。

わしが考えるに、ゴジラは「核問題」や「自然災害」といった、人間が制御できへん不安の象徴や。それが、シン・ゴジラの次々とバージョンアップしていく姿を見た時、「この手があったか!」と歓喜したんや。シン・ゴジラは、ただの怪獣映画やなくて、現代の不安や問題を映し出す存在として新たな形を見せてくれたんや。

ゴジラは、単なる怪獣映画のキャラクターやないんや。それは、人間の無力さや、不安、恐怖を象徴する存在や。そやからこそ、ゴジラは人間がどうにもできへんもんであり、倒されるためにはそれ相応の理由と力が必要なんや。エメリッヒ版ハリウッドゴジラがミサイルで簡単に倒された時、わしはその映画に対して失望したんや。ゴジラはそんなに簡単に倒されるもんやないし、それがゴジラの魅力でもあるんや。

シン・ゴジラでは、そのゴジラが進化し続ける姿を見せてくれた。これはまさに現代の不安や問題が進化し続けることを象徴してるんやろうな。わしはその姿に、ゴジラの新たな可能性を感じて、歓喜したんや。ゴジラは、常に進化し続ける存在であり、人間が直面する不安や問題を象徴するもんやと、改めて感じたんや。


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