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#40 誰かのために生きる

この週末は、両親の結婚記念日ということもあり、特に予定もなかったので帰省していました。

山と川とTSUTAYAしかない地元ですが、のどかで良い町です。

両親に何かしらの記念品でも買っていけば気が利いたと思いますが、それに気づいたのが実家の最寄駅につく寸前でしたのでもう手遅れでした。

代わりにギターで一曲歌うというお祝いでごまかしました。コストもかけずにそれっぽい感じになるので音楽は本当にすばらしいです。

両親も楽しそうにしていたので結果オーライですね。私としても、演奏を聞いてくれる人がいて、歌を一緒に歌ってくれる人がいるというのは幸せなことだなと改めて感じた良い時間でした。普段一人暮らしをしているとなおさらそう思いますね。

そして隣の家に住んでいるおばあちゃんの家でご飯を食べました。おじいちゃんおばあちゃんは、私の顔をみるなり、とても嬉しそうに笑います。なんならこの笑顔をみるために帰省しているようなところもあります。おばあちゃんは嬉しそうに最近あったことなどをしゃべり始めます。8割くらい何を言っているかよくわかりませんが、ぽろっとこぼした言葉が印象的でした。

「孫たちががんばって暮らしているかなぁって考えるだけで長生きできるわぁ」

少しハッとさせられました。

自分が生きていることそれ自体が誰かの生きる理由になるんだなぁと思いました。

私はただ生きててもいいんだ、と思わせてくれる人、自分の存在そのものを肯定してくれる人がいること、そんな人に出会えることは本当に尊いですね。

確かに、家族も友達も恋人も、離れていたとしても、ふっとその人のことを想像するだけでちょっとがんばろうかと思えるときってありますよね。「今何してるのかなぁ」と想像できる人がいることがもう幸せですよね。逆に、自分のことをそうやって想像してくれる人のためにも私は生きていたい。

「誰かのために」っていう考え方は、責任を相手に押し付けてしまうニュアンスもあるので、あんまり好きではありませんが、こういう暖かい、優しい「誰かのために」はいいなぁと思います。

もしこれを読んでくれてるあなたも、何のために生きているかがよくわかんないなぁと思っていたら安心してください。あなたが読んでくれていることで少なくとも私はめっちゃ嬉しいです。あなたがそこにいてくれるだけで私は元気が出ます。

だから生きてください。私のために。笑

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