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「持たない暮らし」はどうなるか

今後世の中がどうなっていくのか、多くの人が色んな予想をしていると思いますが、私も勝手に妄想してみました。そうです、暇なのです。

あまり範囲を広げすぎても収拾が付かなくなりそうなので、「所有についての価値観」という点に絞って考えてみたいと思います。

現在の騒動の前の状態としては、経済が成熟し世の中にモノがあふれている状態になったので、20世紀のような「所有こそ全て」という価値観から、ミニマリスト的な「持たない暮らし」みたいな新しい価値観が生まれていました。それと同時に、車は持たずカーシェアするみたいなシェアリングエコノミーという分野も盛り上がっていましたよね。家電とか服も、家もオフィスもシェアしよう、という流れが高まっているように感じていました。

ところがどっこい今回の件で、そこの揺り戻しが起きています。健康リスクを考えると、どうしても「人とモノをシェアするのは危険」という認識になります。そして、実際のリスク以上に、心情的にも他者との触れ合いを避けたくなります。

そうなってくると、自分で車や家電、仕事部屋などを自分で「所有」することが合理的になります。自宅から出ること自体がリスクですし、わざわざ知らない人が触れたモノを触りたくはないですよね。

「持たない暮らし」がなんだか急に時代に即していない価値観になってしまったように思います。

ここで一つの疑問が生まれます。

『「所有」に対する価値観はまた昭和的なものに戻ってしまうのか』

私はこの問いには明確に「No」と答えます。

なぜなら、「持たない暮らし」みたいな価値観が正義だった状態と比べたら所有するモノの絶対数は増えると思いますが、その根底にある考え方はかつてのものとは微妙に異なると思うからです。

私の捉え方としては、「持たない暮らし」は単純に所有するモノを減らすということではなく、「本当に必要なモノだけを持つ」という所有に対する自分の判断軸を明確するためのプロセスであったのではないかと思っています。

「今世間で人気だから」、「CMでやってたから」、「普通はこれを持つものだから」みたいな他者や世論に従ってモノを購入し、所有していた旧来の価値観から、「自分にとって本当に必要なモノか、欲しいモノか」ということを見極めて所有をすることが、シェアリングエコノミー時代に起きた変化なのではないでしょうか。

次の時代の価値観の変化は、この延長線上に起きると思います。

整理すると下記のような感じでしょうか

・20世紀的な価値観
(世間一般で良しとされるモノを)所有することが正義
所有するモノの数:多

・シェアリング時代の価値観
(世間一般で良しとされるモノでも自分に合わなければ)所有しないことが正義
所有するモノの数:少

・新時代の価値観
(自分にとってベストなモノを)所有することが正義
所有するモノの数:多

言わんとしていることが伝わりますでしょうか?笑

人の目を気にしたり、見栄を張ったりしてブランド品や高級車みたいなモノを買う価値観から、自分が好きなモノを買うのが正義という価値観への変革とも言えます。シェアリング時代はそういった変革が起きている最中でしたが、どうしても人の目を気にしてしまうところはあったと思います。それが、今回の件で、そもそも人と触れ合うことがなくなるので、急激にこの変化を後押しすることになるのではないでしょうか。

元々自分の好みがあって、それを所有してきた人からしたら何も影響のない変化だと思いますが、人の目など他者からの判断軸をベースにして生きてきた人にとっては、大きな変化だと思います。強制的に自分の好みや価値観と向き合う時代になったともいます。

この変化をポジティブに捉えて暮らしを豊かにしていきたいですね。

元々私は、整理整頓が苦手なこともあって、ひとり暮らしを初めてからは「なるべくモノを持たない派」でしたが、今回の自粛期間が始まって家で過ごす時間が長くなってからは、気に入った食器やカップを買ったり、コーヒーポットやハイボール用のグラスを買ったりと所有するモノが増えました。片付けの手間は増えますが、幸せな気持ちは増しました。笑

自分の好きな音楽を部屋に流しながら本もたくさん読めるし、ずっと放置してたギターも練習できるし、インドア派な自分にとってはとても幸せです。笑

「いかに家を快適な空間にするか」がこれからの生活の大きなポイントになるんだろうなぁ。



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