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「答え」はどこにある

相談する人には決断できない。

もちろん、決断するにあたって、いろんな人の見解を訊くのは大切だと思う。自分ひとりでは見落としていた点もたくさん見つかるだろう。独断で決めるほど無謀なことはない。

ただ、話を訊く時に、「どうしたらいいと思うか」ではなく、「こうするつもりだがどう思うか」という聞き方でないと、話は前に進まない気がする。

「どうしたらいいと思うか」時点での相談は、先輩なり、経験者なり、成功者の話を聞いて、「はぁ〜そうかぁ!そうだよなぁ。すごいなぁ」みたいな感じで、刺激にはなるが多分何も自分に変化は起きない。映画を楽しんだあとみたいな感じで興奮はするけど次の日にはまた日常に戻る。

そもそもどうしたらいいのかわからないから人に相談するだという意見もあるかもしれないが、何かしらの仮説や方向性くらいは自分の中で固められると思う。それすらできていないのは、ただ単純に考える工数が足りていないのではないかと思ってしまう。

一方、「こうするつもりだがどう思うか」的な相談をすると、足りない視点に気づいて考えを改めることもあれば、そのまま自分の考えへの確信を強めることもある。ただ、いずれにせよ返ってくるひとつひとつの言葉が内臓に刺さる。行動する前提なのでどんな言葉でも必死に自分の中に落とし込みたくなる。そして、それが積み重なって最終的な決断に繋がっていくのだと思う。

だから決断をするには、まずは自分の中で答えを出しておく必要があるのではないか。吹けば飛ぶような仮説もどきかもしれないが、全くのゼロと比べると天と地ほどの差がある。

言い換えるならばそれは、「答え」をどこか他の誰かが持っていると思う人と、自分の中にしかないと気づいている人の差かもしれない。

正しいかどうかはおいといて、自分の人生の答えは、自分の中にしかないのだから。目を凝らさないと見落としちゃうぜ。


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