#53 究極の果実「みかん」の凄さ

みなさんは「みかん」という果物を知っているだろうか。

そう、オレンジ色で丸くて可愛らしいあれだ。

寒くなるにつれて食べたくなるあれだ。

コタツに入って食べたくなるあれだ。

コンビニに並んでいたのでついつい買ってしまった。帰宅してムシャムシャと頬張りながら、みかんこそ究極の果物でないかとふと思った。


まず第一に「味」だ。うまい。

酸味と甘みのバランスが素晴らしすぎる。甘すぎず、すっぱすぎない、けど甘い。といった己の中の二律背反を何てことなく飼いならすその様は、まさしく究極果実と呼ぶにふさわしい。

優秀なリーダーが理論と感情を織り交ぜて人を動かすように、恋する乙女が思わせぶりな発言とそっけない態度で男心をゆさぶるように、その相反する特性は、時に私たちを惹きつけて離してはくれない。無限に食べ続けてしまう。


さらに、「見た目」もよい。かわいい。

控えめだが魅力的なサイズ感、そして暖かい色合い。ときめきと安らぎを同時に運んでくれるのはみかんだけだ。

この観点におけるライバルには「いちご」があるだろう。小ぶりなサイズ、鮮やかな赤色から、かわいらしさの象徴として扱われることも多いだろう。だけど騙されてはいけない。よく見るとタネがびっしりと表面にこびりついていて、まぁまぁグロい。雰囲気に騙されず本質を見極めていただきたい。


そして、最後になるが、私が思うみかんの最大の魅力はその「構造」だ。よく分析すると身震いするほどの機能美を内在させていることに気づくだろう。

果物を食べる上での最大の障壁は「皮」だ。果物を食べたくなった一人暮らし世帯の98%は、皮を剥くのが億劫で食べるのを断念するとの統計が、おそらく農林水産省あたりで算出されているだろう。リンゴや桃なども美味しいが、皮むきのハードルが高すぎる。スイカにいたってはもはや暴力的とも言える強固さだ。素手で簡単に皮が剥けるみかんは奇跡といっても過言ではない。

みかんの機能美はまだ止まらない。そう、「小分け」だ。最初から商品化を狙っていたかのように、ちょうど一口サイズの房に分けられている。これによって、手を汚すことなく食すことができ、自分のペースでのんびりと口に運べる。手で皮を剥けるという点で横に並びかけていた「バナナ」をここで一気に引き離すことができる。バナナは食べ始めた時点でもう止まることができないのだ。「ブドウ」もいい線をいっているようだが、手がベトつくので話にならない。ワインの樽の中で大人しくしていてほしい。

何より、小分けされたことにより、自然に「人に分け与える」ことができるのだ。人と人とのコミュニケーションを自動発生させる機能も無意識に兼ね備えているというのだから恐ろしい。一個のみかんを共有する感覚は、メロン、スイカ、りんごといった最初から複数人で食することを想定している果物のそれとは一線を画する。同じみかんの「共有者」という感覚は、その味以上に甘美なものだろう。何をいっているのだろう。


商品を企画/設計/販売する上では、性能、デザイン、そしてSNSなどでシェアされうる話題性なども、今の時代では重要な観点になってきている。企画、開発、マーケティング担当者など、そのことで頭を悩ませている人も多いだろう。

もし、良いアイディアが思いつかず、先の見通しがもてないときにはこの投稿のことを思い出して欲しい。

もしかしたら答えはすでにあるのかもしれない。そう、コタツの上にね。





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