#57 ネオンライトが奪ったもの

夜が好きだ。

街が静かになり、空気が澄んでいく感じが好きだ。

なぜだか日が暮れるにしたがって気分が高まり、集中力さえも研ぎ澄まされていくような気がする。勉強したり、何かを作ったりするのも夜の方が捗る。

個人的に、日中何かに黙々と取り組むのは苦手だ。家の中でゴロゴロしているのすら我慢できず、外へ出たくなってしまう。降り注ぐ日光から、家にこもってないで早く外に出ろよ、と急かされてしまうのだ。のんびりしたくても、孤独を許してくれない時間帯ともいえる。

夜は、外でできることが限られているという「言い訳」を与えてくれるのが良い。読書をしたり、映画をみたり、音楽を聞いたり、ひとりでのんびりと好きなものに向き合うことに罪悪感みたいなものがなくなる。

内でも外でもなんでもできるお昼は、自由度が高いようで実は不自由なのかもしれない。そこで何かの選択肢を選ぶということは、別の選択肢を捨てるということだからだ。その選択には痛みや後悔、不安が残る。初めから選択肢が少ない夜とは違う。

自由度が高いがゆえの不自由、という観点で言うと、今の時代そのものも、同じようなものなのかもしれない。

生まれた時から身分が決まっていた時代、一つの会社に勤め上げることが当たり前だった時代。現代に住む私からすると、なんて不自由で窮屈な時代だ、と思う一方で、少し羨ましく思うところもある。自分の生き方に疑問を持ったり、迷ったりすることがないのではと思うからだ。

不満や理不尽も当然あっただろうが、他に選択肢がないのだから迷うことはない。立ち向かうしかないので覚悟が決まる。そして自分の生き方への納得度はその覚悟の強さで決まるのではないか。

なまじ他の道がちらちら見えてしまうと、常に迷いが生じ、結果的にどの道を選んでも何かしらの後悔が残ると思う。 

言い換えるならば、現代は、「言い訳」のできない時代なのかもしれない。「こうする他なかったから」と言うことができない。幸せだけど残酷だ。

繁華街を照らすネオンライトは、夜の静けさを駆逐した。そして同時に、そんな「言い訳」も私たちから奪っていったのかもしれない。さて、どう生きようか。

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