「無駄」を楽しむのが人間

【アイルランド留学99日目】

日常の中での相談事は、たいてい答えを求められていないことが多い気がします。

仕事がうまくいかないとか、それこそ英語が上達しないとか、友達から相談を受けることもありますが、「その場合はこうしたらいいんじゃない?」みたいに言うよりも「わかるわ〜」と共感するだけの方が、なんだかいい感じの雰囲気になります。「答え(解決策)」を提示することは求められていないのです。

そもそも、ネットで簡単に情報が検索できる今の時代、「答え」自体は誰でも手に入られるので、あまり価値がないんだろうなぁと思います。それこそ、毎日ひたすら勉強し続ければ英語はできるようになるでしょうし、仕事の悩みだって、原因は色々あるでしょうが、毎日真剣に取り組んで成果を出すまでがんばれば、状況はいい方向に向かう気がします。そして、たぶんみんなそのことは知っています。

正論、正解、答えをわかっているんだけど、結局それをやるには労力がかかるので、しんどい、というのが本音のところではないでしょうか。そして、誰かに相談をするときは、そのしんどさをシェアして和らげるというのが一番の目的な気がします。とりあえず誰かに話したいだけ、話せばすっきりする、という感じに近いかもしれませんね。正論は必要ないのです。

最近、「レンタルされて何もしない人」、みたいなサービスをしている人もいると思いますが、これもまさしく同じような感じかなぁと思います。何か具体的なサービスや解決策を提供してもらうためではなく、状況や感情を誰かとシェアすることそれ自体に価値が生まれているのではないでしょうか。

言ってしまえば何も生み出さない無駄な時間ですが、人が人である所以はこの無駄の中にあるんだろうとも思います。

ダブリンの人たちも、休日は公園でゴロゴロ昼寝したり、パブで昼からお酒を飲んだり、目一杯無駄な時間を過ごしています。

無駄を楽しむためにも効率的に生きていきたいな。笑


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